『BLUE MAN IN TOKYO』千秋楽公演より 『BLUE MAN IN TOKYO』千秋楽公演より

2007年12月にブルーマン初のアジア公演としてスタートした『BLUE MAN GROUP IN TOKYO』が、3月31日、ついに千秋楽を迎えた。セリフなしでパフォーマンスを繰り広げる3人のブルーマンと4人のミュージシャンで贈るステージは、1987年にニューヨークで結成以来、国籍・年齢・性別を問わない面白さで世界中のファンに愛されてきた。日本では六本木の専用劇場「ブルーマンシアター」にて2009年11月までのファーストラン、さらに2010年4月から2012年3月までのセカンドランで、1388回80万人を超える動員数を達成。そのフィナーレとあって、開演前から会場は熱気であふれていた。

客電が落ち、ブルーマンの姿が舞台上に現れると、大歓声と拍手で興奮はマックスに。いつも通りの飄々とした間合いでステージを展開していくブルーマンだが、その一挙手一投足に「おぉー!」という感嘆や笑いがあちこちで漏れる。千秋楽だけに観客はリピーターが多いはずだが、頭を真っ白にしてその場で起きることに反応していくのが、このステージの楽しみ方。ブルーマンに別れを惜しむ大勢のファンは、最後の最後まで、そのやり方をまっとうしているように見えた。白い紙と巨大なボールが客席を埋め尽くすエンディングでは、毎回のカタルシスと共に約4年間のステージとその他の活動が懐かしく思いだされるひと幕も。最後はキャストとスタッフが裏方まで全員ステージに現れてのカーテンコール。金色の紙吹雪が舞う中、千秋楽の幕が閉じた。

紅白歌合戦やサマーソニックに出演する一方、地元の夏祭りに参加したり、東京都に避難中の東日本大震災の被災者を招待したりと、積極的に日本という国との交流を図ってきたブルーマン。東北地方復興支援活動「CONNECT~ツナグ・ツナガル~」では、東北地方の名産品とのコラボを発売。終演後にブルーマンが観客と触れ合っての募金は、活動を開始した昨年4月16日から今年の2月末時点で7,153,841円にもなった(千秋楽まで続行)。ディレクターの深谷好隆氏は、「ブルーマンのポリシーは、その国に根ざして公演をすること。専用劇場を建てることから始まったプロジェクトは無謀とも言われましたが、さまざまな過程を経て、その目標は達成できたと自負しています」と語る。今後については「公演の予定はないですが、ここで生まれた絆を大切に、いつか何かをお見せできれば(笑)」と含みをもたせた。まずは人々の記憶と記録に残るステージを見せてくれたキャストとスタッフに、心からお疲れ様と言いたい。

取材・文 佐藤さくら