関心がないと「言葉」は出ない!

自閉症は社会性の障害、コミュニケーション障害ですから人がやることを真似することがなかなか出来ません。

スイミングスクールに通っていたころも、周りのお友達が準備体操をしていても、ただそこに棒のように突っ立っているだけで、一度たりとも真似をして体を動かすことをしませんでした。

息子は人見知りをするわけでもなく、人に喜んで近づくわけでもなく、人のやっていることに関心を持って真似ることは決してありませんでした。

これは動物に対しても同じ。

犬や猫などの動物に関心を示すことがなかったので、健常児の子どもが出す「ワンワン」「ニャンニャン」の言葉を言うこともありませんでした。

普通、幼い子は犬や猫が近寄ってくると喜んだり、あるいは怖がったりのどちらかの反応を示すものですが、息子は目の前に大きな犬が来ても嫌がるわけでもなく、かといって喜んで近づくわけでもなく、それらがいないかの如くふるまい、無視して通り過ぎて行きました。

子どもの「ここを伸ばしたい 」の難しさ

4歳になっても全く口をきかない息子、周りのよく喋るママ友の子どもを見て焦り、小児精神科の主治医に「言葉を話すようになるトレーニングを受けたい」と申し出ました。

けれども医師は一言「お母さん、言葉をいくら教えても単に単語数が増えるだけで、これを操ってコミュニケーションをとれるようにはなりませんよ!」と告げました。

5歳過ぎてもオムツが外れない息子に対して「なんど教えてもトイレでおしっこができない。どうしてもオムツを取りたい」と訴えました。

でも担当医師は「お母さん、オムツだけをとってもオムツだけがとれた赤ちゃんのままです。言葉の発達もオムツがはずれることも全体発達の中で出来るようになっていくものです」と厳しく諭されました。

そういわれた当時は凹みましたが、息子がうどん屋で「まだ食べる!」と言ったとき主治医に言われたこの言葉を思い出しました。言葉だって、それだけが独立して発達する訳ではなく「誰かの真似をしてみたい」「あの子と遊びたい」「あの玩具を取り返したい」が気持ちが生じてきて初めて出てくるものです。

何事も強い動機があって人は動きます。息子の場合は「うどんを最後の1本まで食べたい、このことを器を下げようとしている店員に伝えたい」という動機でした。

言葉だけのトレーニングをしても単語を単に覚えるだけ。これを使って喋るようにはなかなかなりません。

勉強だって「知らないことを知りたい」という知的好奇心に火が点かなければ、いくら親が「勉強しろ!」といっても子どもは勉強しません。これと同じです。“馬を水辺に連れていくことは出来ても飲ますことは出来ない”の諺通りなのです。

言葉が遅い? でも、お友達と比べないで

健常児でも言葉が早い子遅い子がいます。でも、それぞれの発達段階があり、まだママと子どもの一対一の関係の中で生きている場合、それほど多くは語らなくても事足りることもあります。

ですから、まだ、他のお友達と関わる気持ちが少ない段階の場合、自分の要求を示す言葉があまり出ないこともあります。

あるママが子どもの社会性やコミュニケーション能力を伸ばそうと公園に連れて行きました。ところが、地面の石ころや虫をじっと見つめているだけで、びくとも動こうとはしませんでした。

業を煮やした母親が無理やり背中を押すと、ママの服にしがみついて離れない子ども。そんな態度を見て「どうして他のお友達のように遊ぼうとはしないの? 公園で元気に走り回らないのは子どもらしくない」と悲しくなってしまいました。

でも、まだ友達と関わって遊びたいという気持ちが薄いのです。不安の方が強くて安全地帯であるママにしがみついていたいのです。その段階でないのに無理強いしても親子ともストレスがかかるだけです。

何事にも、時が熟すのを待つ親の“我慢”が必要だと思います。

その後の話

来年、高校生になる息子は未だにパニックを起こし、感覚過敏のため耐えられない音もありますが、自分でモーター音が出る電動バリカンも使えるようになり…

うどん屋では「きつねうどん下さい!」と食べたいものを自分で注文できるようになりました。 

それなりに経験を積んで出来るようになったこともたくさんあります。

思春期を迎え、反抗期真っ盛り。友達の真似をして、決して美しい言葉ではないですが「マジ切れる」「うざい」などの言葉も喋れるようになりました。昔、水泳教室のプールサイドで棒立ちだった息子。人に関心を持って真似をすることができるようになっただけで大きな成長です。

だから、ちょっと汚い言葉でも母としては少し嬉しく思っています。しみじみ「自分もこの子のおかげで随分、成長させてもらったなあ」と思う今日この頃です。

子育て中は目先の子どもの言動に一喜一憂してしまうものです。でも、後になって振り返ってみると「あんな、ちっぽけなことで凄く悩んでいたなあ」と懐かしく思えるものです。

私も今だから言えることなのかもしれませんが、過去に戻って、悩んでいる私の肩をポンポンと叩いて、こう言ってあげたいです。

「そんなに苦しみ悩まなくても楽しい未来が待っているよ」と…