問題発言

先日、茨城県の教育施策を話し合う会議の席上で、障害児が通う特別支援学校視察した教育委員の発言が議論を呼びました。

「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないんでしょうか。4ヶ月以降になるとおろせないですから。」

「ものすごい人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思いました」

「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」

「茨城県はそういうことを減らしていける方向になったらいいなと」

 

引用文を挿入します。著作権法上の引用ルールを遵守してください。2015年11月19日付 毎日新聞記事より引用

「茨城県では障がい児を減らしていく方向にするべきだ」発言、つまり「出生前診断で中絶することを推進しては」ととれる発言をしかるべき立場の人がし、これについて茨城県知事も容認しました。

この教育委員もこれから障がい者になることもあるかもしれません。歳をとって誰かの手を煩わす日も来るでしょう。そんなとき「あなたの存在は大変な税金がかかり迷惑をかけている。最初から生まれていなければよかった」と言われたら彼女はどのように感じるのでしょうか。

障がい児を持った親が悩み苦しみ「育てていける環境にない」と中絶することを誰も非難は出来ないと思います。でも教育委員がこのような発言をしたら、みんな「世間に迷惑をかける子ならば産まない方がいい」と感じてしまうのではないでしょうか。

やむを得ない中絶もある

「障がい児を育てていくことがどうしても出来ない」

「将来、下の子に障害があることで、上の子の結婚が破談になるかもしれない」

「親亡き後、他の兄弟に大きな負担がかかると思う、障がい児とわかっているお腹の子を産むわけにいかない」

このように悩み苦しみ、産まない選択ができるようになりました。

この検査が認められていることはそれ自体を国が容認していることなのですから、この選択につて良い悪いの意見を他人が言ってはならないと思います。

事実、障害児を育てることは夫婦にとって大変な子育てになります。

「簡単にできるから便利」とすぐに検査を受けるのではなく、よく情報を集めて親として責任ある決断をしてほしいと思います。

知っておいて欲しいこと

私自身が出生前診断を受けながらこんなことを言うのはおかしいのですが、当時は障がい児を産み育てるなんて自分の人生設計図の中には全くありませんでした。だから、どうしても回避したかったのです。

怖くて不安が一杯でした。「障がい児を持つと子どもも親も不幸になる。きっと子どもも産んでほしくなかったと言うかもしれない」とまで思っていました。

でも、実際、育ててみるとそんなことはありませんでした。今でも現在進行形で苦労は多いです。それから親亡き後の息子の将来についてもとても不安です。けれども、この子を育てる喜びの方がずっと上回っています。私も子どももとても幸せです。

また、周りで価値ある楽しい人生を送っているダウン症の人達を見ていると貴重な命と歩む選択をしていいものかと今は思っています。

皆さんはどう思いますか?

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