モフセン・マフマルバフ監督

『カンダハール』のモフセン・マフマルバフ監督の最新作『独裁者と小さな孫』が今週末から公開になる。自国イランの検閲に抗議し、現在はヨーロッパを活動にしている監督は、幾度か暗殺されそうになる危険を乗り越えて、数年ぶりの長編劇映画を完成させた。

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本作の舞台は独裁者がすべてを支配する国。大統領は民衆から搾取した金で裕福に暮らしているが、ある時にクーデターが勃発。大統領と幼い孫は国に残されてしまい、ふたりは安全な場所を求めて船が待つ海へと旅立つ。暴徒化した民衆が、大統領のクビに賞金をかける中、ふたりが旅の過程で目にしたものとは?

本作は、何年にも渡って脚本が執筆されてきた。「最初に脚本を書いたのは9年前でした。アフガニスタンを訪問した際に、独裁者をモデルにしようと思ったのです。その後にイランで反政府デモが起き、アラブの春が起き、そのたびに脚本を書き直していったのですが、ある時に『これは私たちの地域固有の問題ではなく、どこでも起きる問題ではないか?』と思ったんです。そこで脚本から固有名詞を消して、政治の話から社会の話へと書き直しました。問いかけ続けたいのは『なぜ、独裁者が生まれてくるのか?』ということです。独裁者がいる国で革命が起きても、また独裁者が生まれてしまうのはなぜなのか? が問題でした」

映画では、冷酷な独裁者の逃亡劇が描かれるが、暴徒と化した民衆も重要な役割を果たす。「独裁者と国民と反政府の三角を思い描いてみてください。日ごろ、独裁者に喝采をおくり、もちあげているのは国民です。でもある時に反政府が動いて独裁者を倒すと、国民は即座に反政府と同じように暴力をふるいます。反政府の人々は必ず『独裁者を捕まえて拷問しよう。なぜなら、自分たちが独裁者から拷問されたから』と言います。私たちの国の詩にこういうものがあります。“権力者の顔を見ると、その国の国民の顔が見える”」。映画は逃亡する独裁者の姿を中心に追い、やがて“憎き独裁者を殺せば、すべてが解決するのか?”という問いを観客に提示する。「リビアではカダフィが倒されましたが、あの国ではまだ平和が訪れていません。カダフィを殺した後に、次は民衆たちで殺しあったからです」

マフマルバフ監督は本作に込めたメッセージを可能な限り多くの国々の観客に届けるため「セリフの意味がわからなくても、映画のメッセージが伝わるようなイメージを積み重ねていった」という。「すべての国の人々のために映画をつくれば作品は永遠に残ると思いますが、ある特定の国やグループのための作品であれば、それは残ることはないでしょう。たとえば携帯電話は、ある国のために作られたものではなく、地球のすべての人のために存在します。そういうものは残っていくものです」

『独裁者と小さな孫』
12月12日(土)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町にて全国公開