第二位 坂口安吾『勉強記』

 

キャラクターが魅力的でおもしろい短編小説です。

主人公は涅槃(ねはん)大学インド哲学科に通う学生、栗栖按吉(くりす あんきち)。涅槃大学は「誰でも無試験で入学できる」という、今でいうFラン仏教大学です。

教授も生徒もぜんぜんやる気がないのに、按吉だけは「悟り」を求めて大真面目。地の文で「(按吉は)思い余った挙句には突然爆裂弾を投げつけたりピストルを乱射したり、それはもうみんなこの顔付きのてあいなのである」などと表現されているかわいそうなやつです。主人公なのに。

ほかの登場人物も個性豊か。按吉の親友、僧侶の龍海さんは女性が大好きで、趣味の油絵でも女性の絵しか描かない煩悩の塊。パリ移住(特に何もプランはないが行けばなんとかなると思っている)の貯金のために絶食してガリガリに痩せこけて、按吉に「貯金が溜まった瞬間に魂が抜けてパリに飛んで行くのでは…」と心配されるナイスガイです。

 

さて、肝心の屁ですが、これは按吉がチベット語を習った言語学者の鞍馬六蔵(くらまろくぞう)のエピソードでぶっ放されます。

鞍馬先生は、東欧の言語を何十種類もマスターしている優秀な学者である一方、夢遊病患者でもあり、夜中に起きだして家じゅうの本に排尿するという厄介すぎるクセを持っています。しかもその本を人に貸します。

さらに、鞍馬先生はところかまわず放屁してしまうというクセもあり、生徒である按吉も苦労するのでした。

 

先生は大変放屁をなさる癖があった。伝授の途中に「失礼」と仰有って、廊下へ出ていらっしゃる。戸をぴしゃりと閉じておしまいになるから、廊下でどのような姿勢をなすっていらっしゃるかは分らないが、大変音の良い円々とした感じのものを矢つぎばやに七つ八つお洩らしになる。夜更けでも陰気な雨の日でも、先生のこの音だけはいつも円々としていて、決して濡れた感じや掠れた響きをたてることがないのであった。

屁をするたびに廊下に出る気遣いがいたたまれなくなった按吉は「先生、放屁は僕に遠慮なさることは御無用に願います。かえって僕がつらいですから」と進言し、先生もそれに応えます。なんだこの展開。

 

(先生は)目の前でそれではと仰有って振り向いて、障子に尻を向けておいていつもの通り七ツ八ツお洩らしになった。そうして、その後はこの方法が習慣になったのである。ところがここに意外なことに、按吉は従来の定説を一気にくつがえす発見をした。(中略)大きな円々と響く屁は臭くないという古来の定説があるのである。ところが先生の屁ときたら、音は朗々たるものではあるが、スカンクも悶絶するほど臭いのである。

そう「音の出る屁は臭くない」という定説を覆し、先生の屁はうるせえうえにとんでもなく臭かったのです。あまりの臭さに錯乱した按吉は自殺を考えるほど世の中が嫌になり、思わず日記に詩を書いてしまうほどでした(人は屁が臭すぎると詩を作るようです)。地の文ではこうまとめています。

 

こうして彼は意外にもチベット語と屁の交るところの結果から詩の精神を知り、また厭世の深淵をのぞいた。人間は、どこで、何事を学びとるかまことに予測のつかないものだ。

坂口安吾、何を言ってるんだ。

 

本文を読む(青空文庫)