社会の恩恵を感じ難い構造となっている現代。 この閉塞状況を打破するためのヒントを探るべく、作家の佐藤優が若き知識人たちと語り合う。 著書『右肩下がりの君たちへ』(ぴあ書籍)より、憲法学者・木村草太氏との対談「変化の中で生きること」から抜粋して紹介。

憲法学は誰のためのもの?

佐藤 木村さんは東京大学で何年かにひとり現れるかどうかの超秀才でありながら、かなりユニークな手法で、法学を世に広めておられますね。

木村 憲法学って、法学の中ではまだまだ若い学問なんです。法学自体は非常に長い歴史を持っていて、例えば刑法や民法はローマ法以来の数千年の歴史があります。しかし憲法学、特に私の専門の憲法訴訟論というのは、いちばん古いアメリカでも200年程度、それ以外の国では第二次大戦後に始まったので100年に満たない。

佐藤 日本で始まったのもその頃ですよね。

木村 ええ、世界から見れば早いほうです。それでも学問分野としてはまだまだ発展途上なんですよね。だからこそ、いろいろなアプローチで発展させていくことができるはずだと思っています。

佐藤 それに木村さんの根底には、ヒューマニズムがあります。著書の『テレビが伝えない憲法の話』では、ご自身が幼少期を過ごした洋光台の商店街「サンモール洋光台」に対する並々ならぬ情熱を感じました。普通の市民を基点に拠えるというトポス的発想があるというか、自分の桃源郷をきちんと持っているところがいいですね。

木村 そんなところに着目されるとは(笑)。

佐藤 大事なことです。昨今の憲法論議では、型にはまった面白味のない論議をする人か、でたらめな話をする人のどちらかしかいない。時々勘違いしている人がいるけれど、型破りな技は、型をぜんぶ知ったうえでそれを超えるから型破りなわけで、型ができていなければただのでたらめですからね。木村さんのように正統派でありながら柔軟な考えができる学者は貴重です。

木村 憲法学は若い学問ゆえに、思い付きの議論を起こしやすい学問分野なんですよね。私はどちらかというと、型のないところに型を持ち込む手法を、いつも意識しています。未成熟なところへ古くからある概念規定を持ち込むことで、学問としての基盤を固める一歩になるのではないかと。

佐藤 いまは多様な価値観が認められると同時に、その場の思い付きのような言論が横行しています。その中にあって、木村さんは論理的整合性や知的な集積を重視されている。例えば「同性婚は憲法違反ではない」、「国防軍という名前が付くこと自体は憲法違反ではない」ということを、物事のあり方の根本に踏み込んで考えるのが木村さんのやり方です。これは案外に重要な観点なんですよ。

木村 手法としてはクラシカルなことをしているつもりでいますが、憲法学の中では誰もしてこなかったかもしれないですね。

佐藤 しかも「サンモール洋光台」など身近な話を盛り込みながら、ふだん法学に興味がない人にもできるだけわかりやすく説明しようと尽力されています。『テレビが伝えない憲法の話』はタイトルからすでに「テレビを見ているけれど、憲法に詳しくない層」を想定しているでしょう。

木村 そうですね、そのあたりは意識しています。

佐藤 学生に対しても『キヨミズ准教授の法学入門』といった、マンガやライトノベル風な仕立ての非常にサービス精神旺盛な本を書かれている。専門分野の学者の多くは、一般の視聴者にわかりやすく説明することをあきらめてしまう傾向がありますが、そうではない。

木村 はい。できるだけかみ砕いて、わかりやすくありたいですね。そうでなければ、誰のための憲法なのかということになってしまいますから。

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