爆笑問題の貴重な「顎クイ」ショット 撮影:tama

ネタのセレクトといえば、2016年は年明けからこれでもかと大量の芸能ニュースが報じられ、そのどれもが大ネタばかりという“時事ネタの大豊作”とも言える年となった。

今回のDVDでも多くの時事ネタが取り上げられているが、爆笑問題の漫才のネタになる“基準”のようなものは、どこにあるのだろうか?

大きなニュースだからって「やらなきゃいけない」っていうわけではない(田中)

田中「まずは、ありとあらゆるネタをやってみるんですよ。作家も含めてネタを一度全部洗い出して、とりあえずやってみる。ほとんどのニュースは一度はネタを考えて、そのなかでウケそうなものを選んでやっています。

なので極端な話をすると、大きなニュースだからって“ベッキーは絶対やらなきゃいけない”っていうわけではない。どうしてもいいネタができなかったら、やらない場合もあるし」

『爆笑問題のツーショット』収録の模様

太田「話題の大きさで拾うっていうよりも、そのあとの展開でおもしろいネタになったらそれはやるし。話題はとっかかりでしかないからね。今年はそういう意味では話題が多すぎちゃって、芸能ネタにメリハリがないよね。ベッキー、SMAP、舛添って、どれもが大きいネタだから」

田中「もうちょっと緩急つけたい、みたいなね」

太田「小ネタからのベッキー、みたいな流れが作れるといいんだけど、ちょっとメリハリがないんだよ」

田中「文句言ってんじゃねえよ!って話だけどな(笑)」

太田「全員四番打者を集めちゃったみたいな。巨人だね、今年の芸能界は」

田中「いやいや太田さん、それ10年以上前の巨人のイメージだから(笑)。でもまあ、今年は全体的に(収録時の)ウケはよかったと思いますよ。お客さんもネタが豊富なのを期待して来てくれているのはわかるし、俺らがいま漫才をやれば、清原もベッキーもSMAPも舛添もやるだろうと思って来てくれているだろうし。あ、舛添さんは今回のDVDには間に合ってないんだっけ。セーフだね(笑)」

『笑いにしちゃダメ』という空気が漂っているほうが、笑えたときのウケは大きい(太田)

そんな“四番打者”が揃った今回のDVDのどアタマ、トップバッターとして登場するのは、芸能ニュースでも政治ネタでもなく、熊本地震の話題だった。

思い返せば、2011年3月11日に起きた東日本大震災を境に、あらゆる表現に対して「不謹慎」という言葉があちこちで見受けられるようになった。

その言葉はいつしか本来の意味から逸脱し、多くの理不尽な糾弾を生んだ。その結果、いつの間にかこの国にはどうにも息苦しい“不寛容なムード”がすっかり定着してしまった。その矛先は、爆笑問題が主戦場とするお笑い界に向けられることも少なくない。

今回のDVDで、熊本地震の話題から「不謹慎狩り」のネタへとなだれ込む冒頭の流れは、「なにが起きようが、いくら不謹慎と言われようが、俺らはこれ=時事ネタをやり続けるんだ」という爆笑問題からの明確なメッセージのように、筆者には思えたのだ。

太田光 撮影:tama

太田「ああ~、そういう気持ちは多少あるかもしれないですね。やっぱり大きいんだけどネタにしにくいニュースっていうのは、たまにあって。俺らはデビューしたときにちょうど昭和から平成に変わる直前だったんですよ。だから(世の中が)自粛モード一色だったんです」

田中「僕らが体験したなかでは、はじめてテレビを含むマスコミ全体が“自粛”っていう言葉を大々的に使ったんです。それまでは、あんまり使われない言葉だったんですよね。僕らは当時、いまよりもっとテレビでできないようなネタをライブでやっていたんですけど、そこから爆笑問題の時事漫才ははじまってるんだよね」

太田「そういう意味では、世間に『あんまり笑いにしちゃいけない』っていう空気が漂っているときのほうが、逆にネタを上手く作れて、笑えたときのウケはすごく大きいものがあるんです」
 

「笑いにくい世の中」でこそ、ウケたときの爆発力は絶大なものになる――それは、「不謹慎」という言葉で自らを縛りつつも、どこかでそこからの開放を望んでいる、大衆の欲望の裏返しの結果なのかもしれない。そのことを爆笑問題は、数十年の活動のなかで肌で感じていたのだ。