フェスを始めるに至った理由

やついいちろう

ーやついさんは、どういうお気持ちでフェスを始められたんですか?

やつい:自分のイベントをやっていたんですよ、ずっと。

基本的にはそもそもそれがアイドルも出ているしお笑いも出ているものだったんです。

もちろんDJもやっていて、それをロフトでず~っとやってたんですよ。2006年くらいからかもしれないですね。

それくらいから、自分の生誕祭とかバレンタインデーにちょこちょこやっていて。やっぱり僕は飽きやすいんですよね、同じものをずっと見てられないので。だからDJもあって、バンドもいてアイドルもいてお笑いもいて。

僕はテレビでもザッピングするんですよ。

ずっと同じものを見ることがないから、それをそのまま並べて行ったんですよね。

天馬:じゃあ、会場がチャンネルみたいになっていて、番組表みたいになっているイメージなんですか?

やつい:う~ん、というよりも、なんか他のDJイベントに行ったときに正直退屈だったんですよね。

色んなDJが出てきてかける曲を変えても、DJだから見た目が一緒なので。「なんでこれが楽しいのかな?」というのがわからなくて。それで自分で始めたというのはあります。

もっとお笑いも入った方が良いだろうしバンドもいた方が良いのになって。それで値段を抑えてって考えたら、出るアーティストが誰とか発表せずに、「とりあえずやるから信用してくれ」という体でやると良いんじゃないかなと思ってやり始めたんですよ、2006年くらいから。

そうこうしているうちに僕がミックスCDを出したときに曽我部(恵一)さんに「このミックスCDみたいな感じでやつい君もフェスやった方がいいんじゃない?」って言われたのがきっかけです。

でも、「ええ~やだよ~」って思ったんですよ、集客も…とにかく僕は集客を気にするんで。

天馬:集客はプレッシャーですよね、毎年。わかります。

やつい:出る人たちの集客に頼ると、絶対上手くいかないって思っていたから、自分の集客で埋めなきゃというのはすごく強いんですよね。

天馬:本当そうなんですよね、これは勘違いされがちというか。

「空間に行かないと感じられないようなものを作りたくて」

天馬:僕も自主企画というよりもフェスと銘打ってやり始めてからすごく感じたことなんですけど、ワンマンの集客とフェス出演での集客というのは関係ないというか。

ワンマンですごく集客する人でも、じゃあそのままそのお客さんをフェスに持って来れるかというと、それはフェスのカラーだとか、お客さんの来やすい部分というのも関係してくるので。

実際チケットを発売してみないとわからないところもあるし、組み合わせなのかなあとも思います。

単純にアイドルがたくさん出るイベントに、ヲタの人はDD(誰でも大好き)的なところがあるから行く、というのもあるじゃないですか?

だからやっぱりうちみたいなところでアイドルが1組か2組しか出ないときは、他のバンドとの関係性だとかトータルで見たときにどうだとかいうことが関係あるのかなって。

だからそういうところですごく気を遣うんですけど、みなさんもですかね?

成田:……俺の場合は…………プライドってあるじゃないですか?

天馬:カッコイイ!

成田:いや、格闘技の「PRIDE」のことですけど(笑)。

天馬:ああ~なんだビックリした、何を言うのかと思った(笑)

やつい:「俺、プライドあるじゃん」すげえ発言だなって(笑)。

成田:違います、違います(笑)。

格闘技のPRIDEって、キック、レスリング、ボクシング、プロレスとか色んなジャンルというか集まってみんなで戦ってましたけど、俺はああいう空間が好きで。

熱気のあるものというか、さいたまSAとかPRIDEという空間に行かないと感じられないようなものを作りたくて、「夏の魔物」を作ったんですよ。

やつい:本当にそのときは19歳とかだったの?

成田:はい、そうです。

やつい:なんなの、それ?

一同:ははははは!

やつい:本当に不思議だなと思ってさ。上手くいく勝算がなければ絶対やらないから、俺は。

天馬:僕もそうですよ。それに、言ってしまえばやついさんは芸人さんとして確立されていたし、僕もメジャーデビューして数年経ってから「こういうのやらない?」って言われて始めたわけですけど、成田君はこの頃別に、自分のバンドも無名ですよね?

やつい:何者でもなかったわけでしょ?

成田:俺は、高校のときに自分が好きなバンドが青森に来ないことに気が付いて、ツアースケジュール見てると仙台行って札幌に行くんですけど、「あ、いつも来ないな」と思って。

それで高校のときに初めてKING BROTHERSを呼んだんですよ。フェスの前に、春夏秋冬の季節ごとに主催イベントをやっていて。最初にKING BROTHERS、次に遠藤ミチロウさんとクハラカズユキさんに出てもらって。

その次に向井(秀徳)さんとPOLYSICSに出てもらって。

天馬:すごいな。それって自分のバンドの自主企画に呼んだっていうことですか?

成田:そうなんですけど、自分が主催しているとは表立って言わなかったんですよ。その当時はバンドに自信もなくて。どっちかというとそういう空間を作りたいとか思っていて。

ミックスCDを作ってみんなにばらまいて、自分でチラシを配ってみたいなことを続けてたんですよ。

それこそ曽我部さんに手紙を書いて、それを別の弾き語りライヴで来たときにMCで言ってくれたり。

そのときが18歳くらいでした。それで、友達とファミレスにいるときに、「大致、次は誰が来るの?」って言われて。「じゃあ次は夏だからフェスをやる」って、何も考えずに言ったんです。

やつい:それでフェスを始めたんだ?

天馬:大人に対して色々言ったりとか、お金を動かすことに恐怖はなかったんですか?

成田:俺、当時は「フジロック」、「サマソニ」、「ライジングサン」とかめちゃくちゃフェスに行ってたんで、このラインナップが揃ったらすごいことになるんじゃないかって思ったんですよ。

それで当時青森の日比谷野音みたいな会場(森田町野外円形劇場)を押さえたんです。

そこはモーニング娘。さんとか野猿さんとかが来ているところだったんですけど、「ここじゃキャパが足りない」とか言っていて。

10代ですごくロックに幻想を抱いていたので。でも当時バイトしてたライヴハウスの店長さんが全力で止めてくれて。

店長と両親と俺で集まって家族会議みたいなものが開かれて「大致、これはいつもやってるやつとは違うんだぞ」って。

やつい:そりゃそうだよな。

天馬:バイトの店長さんが止めようとしてくれたんだね(笑)。

成田:それでラインナップを見せたんですけど、シーナ&ロケッツとか書いていたんで「これはお前、呼びたい人を書いているだけだろう」って言われて。

「いや、そうじゃなくて鮎川さんから電話が来てもう交渉してます」って言ったら、お父さんが「鮎川さんが出るって言ってるならやるしかないじゃん!」って。

それで、初回は家族も手伝うということで始めたんですよ。

やつい:そうしたら、大変なことになったんだ?

成田:大変なことになりましたね(笑)。今でこそ100人のスタッフとかでやっているものを、10人もいないような感じでした。

ライヴハウスの自主企画ってそういうものじゃないですか?

それくらいの人数でやってたんですよ。

天馬:このメンツって毎回すごいと思うんですけど、これを青森でやろうと思うところがすごいと思うんですよね。

だって、やっぱり集客とか気にするじゃないですか?

今は青森でやることにアドバンテージを感じて来ている人たちもいるんでしょうけど、最初はすごく勇気がいることじゃなかったのかなあ。

成田:最初はHPもホームページビルダーで自分で作ったので、嘘のHPじゃないかみたいな、ものすごい怪しいサイトだったんですよ。

天馬:詐欺のサイトみたいな(笑)?(2006年のラインナップを見ながら)だって、シーナ&ロケッツとかうつみようこさんとか、「嘘なんじゃないか?」って思いますよね。

成田:発表とかのやり方もわからなかったので、出演者が増えて行く度に「これはやっぱり嘘なんじゃないか」という感じがどんどん膨らんで行っちゃって。

でも前売りチケットは1500枚とかいきなり売れたんですよ。

天馬:ええっ!?

やつい:すごいじゃん!じゃあなんで上手くいかなかったの?

成田:……結局お金をかけすぎたりしたんですよね。全体の予算的に。

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