(C) 2016「聖の青春」製作委員会

 病に倒れ、29歳で早世した将棋棋士・村山聖(松山ケンイチ)の生涯を、ライバルの羽生善治(東出昌大)との対決をクライマックスにして描いた『聖(さとし)の青春』が公開された。

 「東の羽生、西の村山」という構図は、幾度も劇化され、「吹けば飛ぶよな将棋の駒に、懸けた命を笑わば笑え」と歌にもなった、「王将」の関根金次郎と坂田三吉を思わせる。天才対異能、あるいは関ヶ原の戦い、野球の巨人対阪神などの東西対決はいつの時代にも盛り上がる素材だ。

 “デ・ニーロ・アプローチ”さながらに、村山と羽生に成り切った二人が好演を見せる。監督の森義隆は、村山にとっての羽生を“ヒロイン”として描いたという。地方での対局後、ひなびた食堂で二人がしみじみと杯を交わすシーンがそれを象徴する。

 ところが、それとは全く対照的に、武道家やスポーツの達人同士の一騎打ちにも似た二人の対局シーンのすさまじさに圧倒される。もちろん将棋のルールを知って見るのに越したことはないが、例え知らなくとも、二人が醸し出す緊張感と熱気に心を動かされることは間違いない。それに肉薄するカメラワークも見事だ。

 また、二人に加えて、村山の師匠・森信雄をひようひょうと演じたリリー・フランキーが実にいい味を出している。

 こうして村山の生涯を見ると、ありきたりだが、人間は何か一つ人よりも秀でるもの、打ち込めるものがあれば生きていけるのだと思える。また、芸は身を助く、好きこそものの上手なれという言葉も浮かんでくる。だが同時に、それを極めるには、身を削るような努力や苦しみが必要になることも知らされ、複雑な思いを抱かされた。

 「自分にとっては一生に一本の映画になった」と松山が語るように、今年を代表する一本と言っても過言ではない力作だ。(田中雄二)