お正月の風物詩、箱根駅伝。正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」で1920年に初開催され来年で93回目を迎える。

主催は関東学生陸上競技連盟ということなので実は関東ローカルの大会ではあるのだが、毎年のようにスター選手を輩出し、注目度もアップし、いまや国民的イベントに成長した箱根駅伝。

その一方で、ここ近年、世界で戦える選手を輩出できていないと言われている日本男子長距離界への影響も取りざたされている中、駒澤大学の初優勝に貢献(当時9区区間新記録樹立)し2001年エドモントン世界陸上マラソン日本代表にもなった西田隆維さん(以下:西田)と駒澤大学陸上競技部OBで駅伝主務だったM高史さん(以下:M)の2人に箱根駅伝が日本男子マラソン界に与える影響などを、聞いてみた。

箱根駅伝が日本のマラソン界にどんな影響を与えるのか?

■注目度の変化で下がるモチベーション!?

西田:僕はそんなに箱根駅伝に影響受けてないから(笑)。僕が入学する頃、駒澤大学は弱かったし、予選会からのスタートだったしね。それに仏教学部仏教学科を中心に考えていて、引退・卒業したらお坊さんになろうと思っていた。

でも、普通に走っていたら1年から箱根駅伝に出場できて、注目されるようになってきて、目標も変わって、3年のときにタレントになろうと思って、タレントになるために真剣に競技に取り組んだね。

今は箱根駅伝というコンテンツが大きくなって、ちやほやされる選手も増えて、本来持っていたはずの自分の目標・目的を見失っているのかもしれない。

僕が大学1年のとき、箱根駅伝に特に興味あったわけじゃないけど、箱根駅伝を走るってことになったら、取材もくるようになって、自分の中で何かが変わってしまうのではないかという感覚はあった。

箱根駅伝で自分を見失って、燃え尽きてしまう選手もいてもおかしくない。でも、本当に強い選手は今でもちゃんと箱根駅伝に関係なく自分を見失わずやっていると思うよ。

M:箱根駅伝の注目度ってすごくて、大学や選手によっては10社以上取材がきます。でも箱根駅伝よりも競技レベルの高いニューイヤー駅伝って取材にくるのは1社だったりと、大学生の頃より頑張っていたとしても、注目度が10分の1に下がってしまう。

それにより、実業団に入ってモチベーションが急に下がってしまう選手もたしかにいると思います。