1930年(昭和5年)にコイズミの3代目小泉重助はSPAを唱えていた

["\n 家電卸のほか理美容機器などのメーカー機能も擁する小泉成器は、照明・家具の小泉産業、アパレルの小泉とルーツを共有している。2015年、創業300周年史を編纂する過程で、87年前の1930年(昭和5年)に3代目小泉重助がSPAを唱えていたことが分かった。

\n 取材に応えてくれたのは、コイズミブランド推進プロジェクト事務局の塚本雅夫氏(小泉産業)と加藤一次氏(小泉成器)の2人。

\n 見つかった小冊子は、3代目小泉重助が1930年(昭和5年)、ニューヨークのウォール街で起きた株式の大暴落が世界大恐慌の引き金となった翌年に、店員たちを励ますために書いた『不況対策と小泉商店』だ。

\n そのなかで重助は、1924年(大正13年)に米国を視察した際に会った、シカゴの百貨店経営者のマーシャルフィルドとの会話をつづっている。

\n 問屋の将来について問うた重助に対して、マーシャルフィールドは「日本の問屋は悪性のブローカーのようなものだ。特徴のある特殊品で生きなければダメだ」といった。

\n この言葉に衝撃を受けた重助は「特種特徴品に問屋将来の生命あり」と解決策を見出した。「さもなければ、デパートのような大資本によって、われわれの最も耳障りな問屋無用論を実際化する」という言葉からも、当時の危機感が伝わる。

\n 今でこそ、小売業や卸などの流通企業が自社のPBを製造するSPAの取り組みが広がっているが、コイズミグループの経営者は、約90年前からその必要性を唱えていたのだ。

\n この先見性は、今でもコーポレートロゴに添えられた「_違う発想がある」とするブランドステートメントの中に受け継がれている。

\n 「『あ!これいいナ』と多くの人々の心を動かすひらめきやときめき、気づきを届けるためにも、特殊特徴品の追求は今後も変わることはないでしょう」と加藤氏は語る。

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