山葉氏が初めて完成させたオルガンのレプリカ

["\n 楽器メーカーのヤマハが誕生したきっかけは、偶然だった。同社の創業者・山葉寅楠氏が手先の器用さを見込まれ、知識もないままオルガンの修理を依頼されたことから、130年続くヤマハの歴史が始まる。

\n 山葉氏が仕事で初めて楽器に関わったのは36歳の時、静岡・浜松にある小学校の風琴(オルガン)修理を請け負ったときだった。当時のオルガンは輸入品のみ。専門の技師がほとんどいなかったので、医療機器の修理に従事していた山葉氏が、機械修理の技術力を見込まれて依頼された。

\n 無事にオルガンの修理を成功させた山葉氏は、日本でオルガンを作ればビジネスになると考え、修理中に模写した部品の図から設計図を自作し、オルガンの試作品をつくり上げた。ところが、専門家からは「オルガンの形はしているが、調律が不正確で使用に堪えない」と酷評され、認めてもらえなかった。

\n そこで山葉氏は、手先の器用さだけで楽器はつくれないと悟り、楽器の調律の基礎となる音叉を手に、寝る間も惜しんで音楽の理論と調律法を勉強した。必至に学んだ調律法を浜松へ持ち帰り、ようやく専門家からも優秀と認められるオルガンを完成させた。

\n 山葉氏のオルガンは評判になり、1887年には山葉風琴製作所を設立。好評を妬んだライバルに一度会社を解散させられるものの、97年にはヤマハの前身である日本楽器製造を立ち上げた。

\n その後も国産第一号のピアノを完成させるなど、100年以上にわたり活躍し続けるヤマハ。偶然の出会いから可能性を追求するベンチャー精神や、困難に打ち勝つ熱意と意志は、ヤマハ発動機の立ち上げや、楽器から音響機器、ネットワーク製品などの新たな事業を広げてきたヤマハに、しっかりと受け継がれている。(BCN・南雲亮平)

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