モアナが教えてくれた、「自分は誰であるか」という問いの答え
モアナが父親のトゥイと言い争ったあと、母親のジーナからこんな言葉を言われます。
「人はね、なりたいって思っても、できるって思っても、やるべきじゃないこともある」、と。
私は、このジーナの言葉に胸が締め付けられる思いをしました。
ジーナはとても優しく、愛を持って、モアナにこの言葉を伝えます。
彼女の言葉はひどく正しく、そして、残酷です。
どうしてそんな、本当のことを言うの? だって、これは“あの”ディズニー映画でしょう? そう思わずにいられませんでした。
そんな母を言葉を聞き、それでも、モアナの歩みは海へ向かいます。
村人から求められ、村の幸せのために生きる。
望まれ、必要とされて、自分には活躍できる自信もある。
でも、「みんな」じゃない「自分」の心が求めた歌は、遥かな海から聞こえてくる。
心の声に従い、海に飛び出したモアナを待っていたのは、命を脅かす危険でした。
それでも、モアナは、「海に選ばれた」という言葉、そして先祖の魂に導かれ、村を救うために旅立ちます。
「自分がなにを選んだか」が重要
私がこの映画を見て、強く感じたことは、『誰かに選ばれたこと』よりも、『自分がなにを選んだか』の方が、とても重要だ、ということです。
たとえ「やるべきじゃないこと」であろうと、自分で選び、決めたのなら、もうそれはやる道しかないのです。
モアナは、劇中で何度も『誰かに選ばれて』います。
父親、村人、そして海。
モアナ自身、何度も「私は海に選ばれた」という言葉を口にします。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
モアナは、海に住む溶岩の悪魔「テ・カァ」との戦闘の際、目論見を見誤り、船を傷つけ、モアナ自身も打ちのめされてしまいます。
そしてモアナは、「選ばれたのは私じゃなかった」と、海に伝え、旅を諦めようとしました。
そんな時、タラおばあちゃんの魂がモアナの前に現れ、モアナの心を導きます。
そこでやっと、モアナは「自分が何者か」に気付くのです。
「自分が何者か」に気づいたモアナは、「島を愛し、村人に期待される村長の娘」ではなく、「誰にも期待されなくても、前へ進むと決めたひとりの人間」です。
誰かが決めてくれた自分は、自分という存在を認識する際、ひどく楽に確かめることが出来ます。
もちろん、誰かが決めてくれた自分のまま生きることは、決して悪いことじゃありません。
でも、そこから、さらに「自分が選んだんだ」と、心から思えたら。
もう何も怖くないし、何にだって挑戦できる。
そんな勇気を、モアナは私たちに教えてくれます。
モアナは、怒り狂うテ・カァに対し、「本当の自分を決められるのは、あなただけ」と伝えます。
そう言えたのは、モアナ自身が長い旅を通して、そう学んだからではないでしょうか。
モトゥヌイにいてもいなくても、モアナがモアナであるように。
周囲が何を言っても言わなくても、自分が自分であることは揺るぎない真実です。