『オクジャ』のひとつのキモが、食肉問題

この映画のもうひとつのキモが、食肉問題。少女ミジャ(アン・ソヒョン)は、アメリカの巨大食品会社のCEO(ティルダ・スウィントン)に奪われたオクジャを取り返そうと、過激だが心やさしい動物愛護活動家(ポール・ダノ)と共にアメリカへ渡って冒険を繰り広げる。

実はオクジャは生物学者(ジェイク・ギレンホール)によって遺伝子操作で生み出されたスーパーピッグだったのだ。巨大だがかわいらしいオクジャと、少女ミジャの冒険は『となりのトトロ』をはじめ数々の名作を想起させるが、その背景にあるのは現代社会への痛烈な批判だ。

ーー子どもが動物を取り返そうとする映画といえば、ダルトン・トランボの『黒い牡牛』を思い出しました。

「その映画はいま、久しぶりに思い出しました。撮っているときに、『ワイルド・ブラック/少年の黒い馬』のことは考えましたね。

特に、ミジャがオクジャの背中に乗って帰るシーンでは。純粋な子どもと動物というのは、見る人に強い感情を起こすのは確かですが、『オクジャ』のアプローチは、そうした過去の映画とは正反対です。

この映画は、資本主義に対する風刺なんです。オクジャが解体されそうになる、食肉工場のシーンがこの映画のキモだと思っています」

Netflixでは映画を汚すことなく、守ってくれる

ーーストリーミング作品と、劇場公開映画では、撮影方法は異なるのでしょうか。

「僕はこの映画を、どう公開するのかということを想定して撮っていたわけではありません。撮影監督も同じで、従来と同じシステムで撮っています。

ただ、1本の映画には長い寿命があり、人生に例えれば劇場公開はそのうちのごく短い時間。その後の長い人生を、ストリーミングやデジタルで歩むことになります。

大きなスクリーンで観た映画が、テレビやタブレットで観てもきれいであるべきです。

映画監督として傷つくのは、テレビ放映などで映画がカットされたり、番組案内などの関係ない字幕が流れて、映画が汚されてしまうことです。

でもNetflixではそうしたことがなく、映画を守ってくれる。作品は完璧な状態でデジタル保存され、配信される。映画へのリスペクトを持ってくれていると思います」

ここで今回、ポン・ジュノに会って、一番聞きたかったことを尋ねてみた。

(C)TAKAMURADAISUKE

『オクジャ』では“女性の過酷な生”が投影

ーーなぜあなたは、オクジャをメスに設定したのでしょうか?

「人間の世界でも、女性差別は強くあります。そして、それは動物の世界にもあり、メスのほうがオスよりも、より酷い辛い目にあわされることが多いんです。

たとえばこの映画の中で、無理矢理、オクジャは種付けされますが、スタジオ側には当初、あの場面は入れたくないと言われたんです。

でも、あれこそメスが一番辛い目にあうことの象徴ですから、絶対に入れなくてはならなかった。実際の養豚場でも、メスの豚は狭いスペースに入れられて、まったく動くことが出来ない状態にされているんですよ。一生、体の向きすら変えられず、そのまま出産もする。

メス豚というのは搾取され続けて一生を終える、いわば資本主義の犠牲者の象徴なんですね。ニワトリも、メスはひたすら卵をを生ませられる。だから、映画の中で動物を救うなら、メスにしたいと思ったんです」

この視点が、今までの動物映画と決定的に違うのだ。これこそ、ポン・ジュノ。

監督の過去作『母なる証明』でも、女性が母として生きることの過酷さをサスペンスとして描いていたが、『オクジャ』もまた女性の過酷な生が投影されているのだ。

エンターテインメント作品として優れているだけでなく、フェミニズム、資本主義、食肉問題、そして何が映画なのか、という映画の本質問題までをも内包する『オクジャ』。

これはポン・ジュノからの大きな問いかけであり、同時にビッグさに、おなかいっぱい、大満足すること間違いない。

いしづ あやこ:映画評論家、コラムニスト。足立区出身。洋画配給会社に勤務後、ニューヨーク大学で映画製作を学ぶ。カンヌほか海外の映画祭をめぐり、映画と食と旅の三大欲求を満たす日々。好きな監督はクリント・イーストウッド、ジョニー・トー、ホン・サンス、北野武ら。心の恋人は片岡仁左衛門。趣味は俳句。俳号は栗人。