小野政次役の高橋一生

 幼なじみの直虎(柴咲コウ)を支えて、時に「裏切り者」の汚名を着せられつつも、必死に井伊谷を守ってきた井伊家家老・小野政次が、戦国の世に散っていった。第33回「嫌われ政次の一生」での最期に、胸いっぱいになった視聴者も少なくないに違いない。放送開始から半年以上にわたり、見事な演技で私たちを魅了してきた高橋一生が、クランクアップ後の心境、今だから言える政次役に込めた思いを打ち明けた。

-クランクアップを迎えた今のお気持ちは?

 1年間、まるまるだったので…。以前も同じぐらいの期間で大河ドラマに携わらせていただいたことがありますが、それとは全く違った感慨深さがありました。俳優としてお芝居をさせていただく中で、生きている実感みたいなものを政次から得て、「今が最高だ」、「もう死んでもいい」と思える瞬間がこの現場には何度もありました。この1年、政次と一緒にいた時間が長かったので、当分終わったという感覚がないまま進んでしまいそうです。クランクアップした日の夜は、寂しさが込み上げてきて、ずっと政次のことを考えながらお風呂に入っていました。

-「最高だ」と感じたのは、例えばどんな場面でしょうか。

 最初に感じたのは、第11回です。直親(三浦春馬)と次郎(=直虎)と政次の幼なじみ3人が、井戸端に集まっている場面。次の日には「駿府に行ってくる」と言って、直親と最後の別れになるのですが、そんなことは関係なく「3人で楽しい」という気分になった時、「俳優をやっていて良かった」と感じました。余計なことは一切考えず、ただただ政次として幸福な時間を過ごすことができました。

-小野政次という人物をどのように捉えて演じていましたか。

 もちろん史実がありますから、実際に起きたことは変えられませんが、お芝居をさせていただいている者としては、現場で作っているものが全てです。史実を意識し過ぎると、結末から逆算していく精神状態になりがちですが、それが正しいのかというと、決してそうではないと思っていて。僕にとっては、スタッフの方たちが作ろうとしているものが答え。だから自分なりの解釈などは極力排除して、作品の一部になることを意識しました。史実はあくまでも一部の“切り取り”でしかありません。その合間で「この人は何を考えていたんだろう?」と、見ている人たちの想像力を刺激できたらいいなと思いながら、お芝居をさせていただきました。

-演じている最中、どんなことを感じていましたか。

 約1年という長い間、寄り添ってきたので、政次と自分を分離できないところがありました。取材を受ける時などは、無理やり引きはがして政次のことを“引き”で見るようにしましたが、やっぱり扮装をして現場にいると客観視できなくなってしまう。最期が近づくにつれて、どんどん政次と自分が同一化する感覚が強くなっていった気がします。

-政次の生き方をどんなふうに感じていますか。

 美しいと思います。寡黙で、一番近しい人ですら何を考えているのか分からない時がある人間というのは、僕は好きです。ただそれは、政次をやらせていただいていたので、思考がそうなっているのかもしれません。内にあるものを抑え込んで隠すという芝居は、僕自身もやってみたかったことで、それが政次の性格とリンクしていた部分がありましたから。ただ、すごく雄弁な人間をやらせていただく機会があったら、「やっぱり、雄弁っていいですね」と言うかもしれませんが(笑)。

-今まで裏切り者と見られてきた政次を、これだけ魅力的な人物として演じたことに対する手応えは感じていますか。

 手応えという意味では、森下(佳子)さんの脚本の力が大きいです。僕はそれに沿ってお芝居をさせていただいただけです。そこに変な解釈や自分の個性みたいなものは出すべきではないと思っているので。以前もお話ししましたが、史実という点で言えば、小野家代々の墓は直虎の墓と同じ龍潭寺にあるんです。それだけで、小野家が心底から嫌われていないということは一目瞭然。ではなぜ、嫌われるという歴史になったのかというと、それは歴史の“切り取り”を見てきたからです。でも、井伊谷という小さなコミュニティにお墓があるということは、政(まつりごと)はしっかりやった人間だと僕は信じていますし、森下さんもそういうふうに書いて下さったと思います。

-確かに、森下さんの脚本は人物が生き生きと描かれています。

 とはいえ、僕のことだけではありません。森下さんはそれぞれのキャラクターを、すべて1人の人間としてないがしろにせず書かれているので、ほぼ盲目的に従っていきたいと思える力がありました。

-そんな森下さんの脚本からは、魅力的な人物が数多く登場していますが、その中で、この人物との対峙(たいじ)が楽しみだったという相手はいますか。

 龍雲丸(柳楽優弥)との対比は面白かったです。台本の中で言えば、第22回、百姓との誤解が解けた龍雲丸たちを歓迎する宴の場を去って、1人で「下らぬぞ、但馬」と自分に言い聞かせる場面はグッときました。2人の存在がとても対照的に描かれていたので。

-小野政次という役を通して気付いたこのドラマの魅力などがあれば。

 家老って大変だと思います。算木を使いながら、地道に経理みたいなこともやって。「直虎」はそういう部分がすごい。政次が算木を使ってお金の計算をしているような場面は、今まで大河ドラマには出てこなかったのではないでしょうか。経理をやっている姿よりも、よろいを着て戦をする方が目に見えてダイナミックで分かりやすいし、躍動感も出ますから。

-確かに、華やかな合戦シーンは戦国ものの見せ場です。

 ですが、算木を使ってお金の計算をするような場面は、撮り方や演出、脚本などが相当しっかりしていないと見せられません。そんな場面をお芝居だけで持たせるのは無理です。それを見せようとするのは、とても勇気がいること。そういった意味で「直虎」は、過去の大河ドラマを補完する内容でもあります。今までは時代を動かす人たちが主人公でしたが、その下にはもっと細かいことをやっていた人がいたはず。そういう当時の生活様式や背景をもっと細かく描いてみようとトライしたこの作品が僕はすごく好きです。それをみんなが毎週楽しみに見て、感想を下さるということは、きっと見ている方たちも“井伊谷の人”なんでしょう(笑)。

-政次は、どんなことに幸せを感じていたのでしょうか。

 僕がやらせていただいた、皆さんで作った政次というのは、政を動かしたりすることよりも、戦からは距離を置いて、風が美しくて水がきれい、幼いころからの思い出もある井伊谷でほのぼのやりたかったんだろうと思います。そんな井伊谷を守るために生きていたのでしょう。

(取材・文/井上健一)

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