【書評】テレビに映らない東日本大震災の記録『遺体』

2011.11.21 6:00

元葬儀社員の民生委員、遺体の歯型を確認し続けた歯科医、津波による災害死を検案する医師……。釜石の遺体安置所で、本当の意味で“死”と向き合い、自分の足で立ち上がっていく人々を伝える石井光太渾身のルポルタージュ。

 東日本大震災から8ヶ月以上が経過した。
いまだに心の傷が癒えずに苦しんでいる人がいる。身元不明のまま家族と再会を果たしていない死者もいる。元の生活を取り戻すことができない人がひとりでもいるうちは、大震災という体験は過去のものにならないのである。しかし、時は過ぎ行き、確実に人々の心に変化をもたらしていく。
その記憶を風化させないために、何をすべきかを考えるときがきたのかもしれない。
大震災の直後は、動ける人が動くことがまず求められた。今必要なのは、その動きを止めずに続けるために足場を固めなおすことだろう。
迅速な動きを求められた災害発生直後には不可能だった、「東日本大震災について語ること」が今こそ必要なのである。
そのとき、本当は何が起きていたのか。

 ルポルタージュ・ライター石井光太は、災害発生直後の3月14日に東日本大震災に関する取材を開始した。大震災の爪痕が深く刻まれた福島・宮城・岩手の各地を巡りながら石井は、「被災地にいる人々がこの数え切れないほどの死を認め、血肉する覚悟を決めない限り」真の「復興」などあり得ないと考えるようになる。
生まれ育った故郷が無惨に蹂躙され、肉親や友人を喪い、家も仕事も一切の生活手段を奪われた人々が、自分の足で立ち上がっていくさまを記録しなければならない。

 石井が取材の中心として定めたのは、岩手県釜石市の遺体安置所だった。そこには多くの死者たちが、震災から1ヶ月近くもの間、葬儀の予定さえ立たない状態で横たえられていた。震災によって火葬場の十全な機能が奪われてしまい、すべての犠牲者を荼毘に付すことができなくなってしまっていたからだ。その中で遺体の、いや犠牲者の尊厳を護ろうとして必死の取り組みを続けていた人たちがいる。石井の著書『遺体』は、人々の行動を時系列で追い、それぞれの持ち場ごとに再構成しなおした、渾身のルポルタージュだ。

 元葬儀社員であることから遺体安置所のボランティアに自ら名乗りを上げた民生委員、身元確認のためにひたすら遺体の歯型を確認し続けた歯科医、生存者を探しながらヘドロの腐臭が漂う街を歩き続けた消防団員・自衛隊員。そうした人々の目に映った東日本大震災の惨状は、当然のことながら報道されたそれとはまったく違っている。





遺体 震災、津波の果てに
石井光太
新潮社
1,575円





 医師の小泉嘉明は、震災直後に遺体の検案に当たった人物である。いかなる死者であろうと、検案を経て事件性がないことを確認しなくては震災の犠牲者とは断定できない。「津波による災害死」であるために小泉が用いた手段は「手で遺体の鼻をつよくつまんだり、胸部を押したりする」ことだった。「遺体が津波による溺死であれば、肺や気管に海水が大量にたまっているため、かかった圧力によって白い気泡状の水がチッチッチッと音を立ててあふれ出してくる」――この確認作業の最中、医師は顔見知りに何度も遭遇する。

 ――小泉は身元確認のメモに記された知った名前に気がつく度に、誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
「君もか……」
深いため息をつき、冷たくなった胸を両手で力いっぱい押すと、気泡状の海水が咽喉から溢れてくる。チッチッチッという音は他と変わらない。

 遺体安置所で責任者として働いた千葉淳は、死という現実に対して無感動にならないために遺体に声をかけ続け、訪れた遺族の心を少しでも安からしめようと努力した。

 ――その後も、千葉は家族が遺体の前ですわり込んでいるのに気がつくと、自分から間に入って声をかけた。ある家族が故人を探しに来るのが遅れたことを悔やんでいれば、「亡くなったお父さんは来てくれただけで喜んでいるよ」と言い、ある家族が遺体が冷たくなっていることを嘆いていれば、「亡くなった方は家族が近くにいると温かさを取りもどすんだよ」と囁く。遺された者が少しでも前を向いて進めるきっかけをつくりたかった。

 石井はなきがらの冷たさをぼかそうとせず、そのまま表現する。冷えきった遺体に対しても温かい気持ちで接し続けた人々がいる。そのことの尊さを、取材を通じて知っていたからだ。再び立ち上がるための勇気を最初に振り絞ったのは、そうやって真摯な気持ちで遺体に向き合った人たちだった。

 3月11日からの数ヶ月間、テレビの映像は被災地の現状を克明に報道し続けた。しかし、そこにあるはずの「遺体」はまったくと言っていいほど画面に映らなかった。現在のテレビの報道姿勢を考えれば「死」そのものである遺体の映像を流すということはありえないのかもしれない。しかし、2万もの人命を奪った大災害なのである。画面で報じられたのは、やはりどこまでいってもデオドラントされたテレビ用の映像に過ぎなかった。テレビカメラから外れた場所で、本当の意味で死と向き合い、自分にできることをやろうとした人々がいたということを『遺体』は伝えている。私は本書を読み、再出発すべき地点はここなのだという思いを新たにした。

すぎえ・まつこい 1968年、東京都生まれ。前世紀最後の10年間に商業原稿を書き始め、今世紀最初の10年間に専業となる。書籍に関するレビューを中心としてライター活動中。連載中の媒体に、「ミステリマガジン」「週刊SPA!」「本の雑誌」「ミステリーズ!」などなど。もっとも多くレビューを書くジャンルはミステリーですが、ノンフィクションだろうが実用書だろうがなんでも読みます。本以外に関心があるものは格闘技と巨大建築と地下、そして東方Project。ブログ「杉江松恋は反省しる!

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