数日前に突然のメールを受け取り「公開練習を行うことにしました」との文言を確認。狂喜乱舞してこの日を迎えました。すきすきスウィッチ佐藤幸雄さんの公開練習です。人前で演奏をされるのは、実に19年ぶりとのこと。 

 すきすきスウィッチとは70年代後半から80年代前半という日本音楽シーンの黎明期、先述の佐藤幸雄さんを中心に活動を行っていたパンク/ニューウェイブの伝説的なグループ。東京ロッカーズや関西NO WAVEをはじめ、じゃがたらや非常階段、そしてはちみつぱいやはっぴいえんどなど、いまにつながる日本の音楽の根底となるようなバンドがたくさん活動をしていた中で、もっともカルト度が高く、CDの入手困難度も高く、後のバンドへの影響力が多大ながらも、いつまでも【知る人ぞ知る東京の最重要バンドのひとつ】との枕詞がよく使われていたバンド。とはいえ、別にそんな小難しい大それた取っつきづらい音楽をやっていたわけではなく、彼らの音楽は、やさしい言葉と耳なじみのよいメロディが大前提。歌のもつシンプルな強さと喜びに、真摯に挑んでいるかのような音楽だ。誰でもわかる簡単な日本語と、誰でも歌える簡単なメロディの歌。それを、極端にヘンテコなミックスで、けったいな音で悲鳴をあげるようなギターリフで、縦横無尽に飛び交う電子音で、かけ声のようなコーラスで、無茶なドラムで、壊しては組み立てて、壊しては馴染ませるすきすきスウィッチの音楽は、日本語のポップス、ひいては「歌」というものが存在する理由に疑問と答えを探し続けているように思える。88年にリリースされた5枚組の10インチソノシートにはNHK「みんなのうた」で放映されていた「地球を七回半まわれ」のカバーや、「手のひらを太陽に」の替え歌カバーが収録されている。彼らの音楽は、童謡、唱歌、民謡からポップス、パンク、ニューウェイヴを自由自在につなげられる音楽だと思う。そして、それは、日本のポップス史を知るためにも極めて重要な存在だ。


あなたのことまだよく知らないけどなんだかなりたいよ 好きに


という一節の完璧な美しさは、日本ロック/ポップスひいてはJ-POP界の歴史においても最高峰のラインだとわたしは思っている。わたしが彼らの音楽を聴いたのは、83年のリリースから実に10年以上も経ってからのこと。しかし、これだけ音楽がありふれた時代においても、群を抜いてかっこよく、新鮮で、名曲揃いで、何よりソノシートの溝じゃ足りない!とはちきれんばかりにあふれでる熱量がテンションがパンクの産声を感じさせた。衝撃だった。彼らの音源は1990年に一度、CDで再発となったもののそのまま廃盤となり、長い間、その音楽性に触れるのが困難となっていた(ジャニスで借りるしか!)。しかし今年に入ってようやく、なんとソノシート5枚組オリジナルの完全盤が、デザインも当時と同じく祖父江慎氏が手がけ、かつ90年に行われた再結成時のライブ映像まで含んだ完全復刻決定盤がリリースされたのだ。


高円寺円盤の扉を開けると、そこには数人のお客さん。そしてそのお客さんに背を向けて、ギターを弾きながら曲の断片を歌ってみせる佐藤さんの姿。ドラマーは、かつて「絶望の友」というバンドでともに活動していたPOP鈴木さん。佐藤さんの歌を聴きながら、果たして自分はどのようなリズムを叩くべきか、スティックを持ってはためらい、ブラシに持ち替えてはためらい、結局1音も発しないまま佐藤さんの歌を聴き終えることもしばしばあった。「ここはドドンパのリズムで」「いやー、ちょっと違うなぁ」「ミュートってもっとできるでしょ?」「ちょっと待ってちょっと待って、なんか違う」などとPOP鈴木さんに指示を出しては、ご自身もギターをトチッて「あぁ、ごめんなさい」と謝ったり、途中で歌詞がふにゃふにゃになったり、つまり、その場はまさに公開練習そのものだった。まるで私たち存在がしないかのように歌に没頭する佐藤さん、佐藤さんの求める音が見えないままに音を鳴らしているPOP鈴木さん、そして彼らがどこへ向かうのかまったく見えないままそれを眺めている私たち。むしろ、あの音の行方を、当の佐藤さんすらわかっていなかったのかもしれない。私たちは三者が三様に、どこへたどり着くかわからない船に乗っているようだった。大きな不安があった。それは、きょうびライブハウスで出会うことのない不安だ。

 

ポップなメロディがある。上手な演奏がある。エモーショナルな感動がある。和気あいあいとした楽しさがある。どれも好きだ。だけど、理解できない、把握しきれない、許容量を超えた謎に出会う不安の甘美を、しばらくわたしは忘れていた。わかりやすいものに囲まれすぎたのかもしれない。インディペンデントで音楽活動を行うということ、すなわちそれは、大衆に受け入れられることのないいびつな魂を解放できる、唯一の救いの場でもあったはずだ。よくわからないもの、理解を超えるもの、インモラルで後ろ指をさされるようなもの、もちろんくそつまらない表現もたくさんあっただろう。でも、それらのすべてはインディペンデントでしか解放できない必然性に満ちていた。つまらなさもくだらなさも含めて、それこそが、芸術であり文化の存在する理由のひとつではなかったか。19年ぶりの演奏を公衆にあけっぴろげにして共有する、ということは決して生半可なことではないだろう。佐藤さんは「エレキギターに触れるのも数年ぶりだ」とおっしゃっていた。「帰ってからきっと落ち込むだろう」ともおっしゃっていた。それでも【公開練習】というかたちでわれわれのまえに姿をあらわしたということ、それは佐藤さんの誠実さであり、アティテュードであり、投じる一石であるように思う。 

試行錯誤を繰り返すうちに佐藤さんの歌の断片は、誰にでもわかるやさしい言葉で、そして一度聴いたらすぐに口ずさめるやさしいメロディで、徐々にかたちをあらわしていった。ようやく彼らとわたしたちの間に、共通言語が芽生えてきたように思えた。佐藤さんからの指示をPOP鈴木さんより先にお客さんが把握したり、佐藤さんがとれないリズムをお客さんの方がとれていたり、私たちも、まさに、参加しながら音楽が生まれる瞬間に立ち会うことができた。それはとてもスリリングな体験だった。わたしのなかの「あの、すきすきスウィッチの佐藤さんが、19年ぶりに人前で音楽活動を行う!!!」という興奮がたちまち影を潜め、ここから始まって、そしてここから歩いていく音楽の行方に興奮を覚えた。最後の最後で、ようやくお客さんと向き合った佐藤幸雄さんがこう言葉を発した。


「この年齢の商業音楽家でない人間が音楽をやるというのは、生活の延長をどうみせるかということで、かなり過酷な実験になると思いますが、やめないで続けようと思います」


まだ完成されてない歌をふにゃふにゃハミングで歌っていた佐藤さんが、「お父さんとお母さんが激しい恋愛をしたから、君は生まれたんだよ」という一節だけを、はっきりと強く歌った。それを聴いてわたしは、音楽を鳴らす必然性は、佐藤さんが歌う理由は、大いにあるのだなぁと強く感じた。「まだ何を歌ったらいいかもわからない」と佐藤さんはおっしゃっていた。だけど、必然があるから、歌は存在する。彼らの次の公開練習は12月18日に円盤で行われる。この先も、その行方を見届けたい。