『喰女―クイメ―』(C)2014「喰女-クイメ-」製作委員会

厳しい残暑を忘れるには“ホラー”もいいが、日本人のメンタリティにフィットするのは、むしろ“怪談”。かの有名な『四谷怪談』をモチーフにした本作は、そういう意味では自信を持ってオススメできる。

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舞台で『四谷怪談』を演じることになった新進俳優と人気女優が主人公。彼らは『四谷怪談』の伊右衛門とお岩のように私生活でも男女の仲で、そしてやはり怪談と同様に、その関係は壊れつつある。映画は、彼らが演じる舞台稽古の模様を追いかけると同時に、私生活での軋轢があぶり出され、それらが少しずつ重なっていく。構成こそ凝ってはいるが、映画的な話法はシンプルだ。

役者たちの関係をセリフで説明せず、あたかも日常の静かな風景のように見せながら、物語は幕を開ける。冒頭のラブシーンを見れば、市川海老蔵と柴咲コウふんする主人公たちが恋人同士であるのは一目瞭然。前者が浮気をしているらしいこと、その浮気相手が稽古の場にいるらしいこと、そして後者が彼の裏切りに感づいているらしいことも、微妙な表情や何気ない会話でわかってくる。これらの“らしいこと”の積み重ねがあるから、不穏なムードも自然とあぶり出されるというもの。現実の世界の描写は、このトーンで続き、緊張感を高めることになる。

一方の舞台上の世界はセリフが多く、役者たちの私生活を代弁しているよう。内容はご存じのとおり、出世欲に憑かれた不貞の武士、伊右衛門が妻のお岩を殺害するがその霊に復讐されるというもの。舞台装置の幽玄なムードも強烈だが、それ以上に劇中劇の淡々としたさまが脳裏にこびりつく。「おなごとは、たいしたものよのう」「殿方は皆、醜いものをお嫌いになられる」等々のセリフから男女の生理の違いが浮かび上がり、思わずドキッとさせられる。

凄惨な描写ももちろんあるが、それが映えるのはこのような男女の情念のギャップが下地になっているから。ある俳優が劇中で「芝居の世界から出たくない時がある」と語るが、ヒロインは「私はない」ときっぱり言い切る。理解し合えない。わからないから恐ろしい。男女の差異からくる恐怖は本作の妙味であり、それは情の宿る怪談の本質でもある。

『喰女 -クイメ-』
公開中

文:相馬学