リリー・フランキーが『東京タワー オカンと僕と、時々、オトン』(新潮文庫)を2005年に発表したとき、本を読む前に世評を聞いて
「あれ? リリーさん、このまま〈いいひと〉になるのかな?」と思ったものである。実際の『東京タワー』は別に「いい話」でもなんでもなく、わがまま放題に生きた人間が母の死というぎりぎりのところになってようやくおのれの出鱈目さに気づき死ぬほど後悔するという話で、要するにそれまでのリリー・フランキーとあまり変わらない作品だったわけなのだが。

だが、世間は『東京タワー』をそう読んではくれなかった。翌2006年には同作で第3回本屋大賞まで受賞してしまう。ドラマと映画、二度の映像化を経てメガヒットを記録し、リリー・フランキーには
「『東京タワー』の作者」というイメージが定着するのである。しかしその頃、リリー本人は先行きの見えない闇の中にいた。「40にして惑わず」どころではない。現実の40代はおおいに惑うのである。

プロインタビューアにしてレビュワー、吉田豪の新作『サブカル・スーパースター鬱伝』の第一章には、著者の師匠筋にあたるリリー・フランキーが登場し、混迷の時期について語っている。

リリーそれは、前はなんか原稿書いても、「これをこうやったらおもしろいだろうな」と思ってたけど、そのうち、「これをこうやって書いたら人は笑うだろうな」と思うと、書くのが鬱陶しくなるっていうか。(中略)ときどきおばさんで、「ここ笑うとこですよ」みたいな語尾の上げかたしてしゃべるヤツ見ると、ホンット腹が立つ! それに近いニュアンスを原稿書いてて感じたとき、しばらくいいかなって思った。

それまで書いていたような文章に嫌気がさしはじめたリリーは「絵本とか小説とかを書いて、『あいつはもう終わった』とか言われたい」と口にするようになる。周囲の人間はそれまでと同じ「サブカルのリリー・フランキー」を期待するが、『東京タワー』や絵本『おでんくん』といった作品を発表したことで、結果的にはそれに逆らったことになる。やがて惑いが最高潮に達したリリーは、文章を書く仕事をほぼ停止してしまう。正式に病気と認定されたわけではないが、鬱状態であったのだ。