――もう少し時代を遡りまして、お2人のデビューは最初の成人式の頃と存じますが、声優の仕事についたきっかけは何だったのでしょうか?

篠原:私はもともと舞台の芝居に興味があったのですが、当時は声のお仕事をされている方は舞台もよくやっていらっしゃったんです。

声優になれたら舞台がやれると思って、大学生の頃に雑誌「ぴあ」のはみだしYOUとPIAに勉強会の募集を見かけて応募したことが、最初の取っ掛かりです。

デビューまではわりととんとん拍子で、大学を卒業する前に大きな役をやらせていただいて華やかなことも経験できましたけど、そこから鳴かず飛ばずの時期もありましたし、それこそ声のお仕事だけで生活ができるようになったのは、『セーラームーン』に参加する数年前くらいからですね。

深見:私の場合はアナウンサーになりたくて高校卒業後に専門学校に願書を出しに行ったのですが、ちょうどその時に声優科が新しくできたみたいで受付のお姉さんに「同じような基礎を学ぶからそっちの方が面白いかもよ?」って言われて、声優科に願書を出しちゃったのがきっかけで。

――すごいタイミングですね(笑)。

深見:もともと高校生の頃は、NHK杯全国高校放送コンテストにも出場するような放送部に入っていて、発声や滑舌は今よりも完璧だったんです。

それで養成所にも特待生みたいな形で入れたのですが、単に声が出せるだけでお芝居もやったことがないのにスタジオに放り込まれるような形でお仕事をするようになって、最初はすごく苦労しました。

それこそある種ゾーンに入るような経験ができたのは30代半ばくらいで、それまでは必死でしたね。

深見さんと篠原さんのデュオ「FUNKY TWINS」結成秘話

――お2人のユニット「FUNKY TWINS」結成についても伺えればと思います。まず、5人のセーラー戦士役の声優ユニットの「Peach Hips」での活動があったんですよね?

深見:そうですね、私と篠ちゃんはセーラー戦士の中でも後発隊だったので、ほかの3人にはすでにオリジナル曲があったんです。そこで、双子デュオのザ・ピーナッツの「恋のバカンス」曲をザ・落花生ズとして2人で歌ったのがきっかけです。

――なるほど、ちなみに同じ誕生日だと知ったのはその頃なのでしょうか?

深見:いつだったかなぁ。

篠原:でも『セーラームーン』が始まってからだよね。『セーラームーン』関係者の方に、もうひとり8月8日生まれの方がいて「一緒だね!」という話をしていたので。

深見:そこから、たまたま当時が平成8年だったので、8月8日の誕生日で888と非常におめでたい並びになるから「何かやる?」ということになって。

――オリジナル曲「Funky Twins ~ふたりは上機嫌~」を作成して、世田谷区玉川区民会館ホール(現玉川せせらぎホール)で開催された「8.8.8 FUNKY TWINS BIRTHDAY PARTY」に至るわけですね。

深見:思いっきり手弁当だったイベントでしたが、制作まわりを買って出てくださった方がいてくださったおかげで自分達がやる稽古などに集中できました。

篠原:本当にありがたかったですね。

深見:周りの方に支えられてできたイベントでした。

――ライブあり演劇ありの内容で、演劇は深見さんの書き下ろしなんですよね?

深見:女の子2人でセットや衣装もそこまで大掛かりじゃない15分くらいの内容の台本が探してもなかったので、しょうがないから自分で書きました(笑)。

イベントの内容は完全にわたしたちが主導で考えたものですね。

篠原:会場に来てくれた方にケーキを2人で食べさせたり(笑)。

深見:結婚式のファーストバイトみたいな感じで、時代を先取りしていましたね(笑)。

――ファンの方々の熱気はすごかったですか?

深見:当時はもう本当に自分達のことでいっぱいいっぱいで、全然(会場の)表に出られなかったのであとから振り返って感じられました。

当時はニフティサーブが全盛の時代で、各電子会議室から会場にお花を出していただいたのですが、それも写真で見て知りましたね。