「頼る」と「甘える」は違う

フキハラをする人を見ると「何とかしなければ」と焦ってしまう、放置すると雰囲気が悪くなるばかりで耐えられないからつい動いてしまう、という人も多いですよね。

他人の不穏さにつられて自分の感情まで不安定になるのは、本来の健全な心の在り方とはいえず、人の状態を引き受けようとするのもまた依存です。

他人の不機嫌を解消してあげるのは不用意に相手を自分のスペースに入れることであり、その人の状態に巻き込まれるのをよしとすれば、苦労する自分をまた許すことになります。

フキハラをする人にその場では感謝されても、その後もずっとその役割を背負わされ続けるのが実際であり、ストレスが募るばかりになるのですね。

自分につらいことや大変なことがあったとき、健全な心なら他人に一方的なご機嫌取りを求めるのではなく、「助けてほしい」とまっすぐに頼ります。

ただジタバタして「何とかしてよ!」と文句を言うのは心の未熟な子どもと同じで、他人に甘えたい、構われたい姿は本当の解決など考えていません。

「頼る」ことと「甘える」は、こちらから心を開いてコミュニケーションを取っていこうとするかしないかで絶対的な違いがあります。

まっすぐに「助けてほしい」と言える姿に人は心が動き、手を貸す気持ちになりますよね。

そうではなく、機嫌を損ねた自分ばかり前に出してこちらが声をかけるのを待つような甘えは、信頼や愛情を育てる気持ちのやり取りが生まれません。

フキハラをする人がいずれ周囲から浮いた存在となり疎まれるのは、求めているのが健全なコミュニケーションではなく「甘える自分を許せ」とねだる一方だからです。

他人の甘えに付き合えば自分が負担を抱えます。

フキハラをする人にはこちらから線を引くこと、正しく自立した自分の姿を見せることが、不要なストレスを避ける最善の道だと考えたいですね。

フキハラをする人には罪悪感がなく、救われる自分を当然とします。

それを許せばその次もまた同じ対応を求められるため、最初はつい機嫌を取りにいってしまったとしても、どこかで距離を置く必要があります。

自立した大人は自分の不機嫌さで人を動かそうとはしないことを、忘れてはいけません。

プロフィール:37歳で出産、1児の母。 これまで多くの女性の悩みを聞いてきた実績を活かし、 復縁や不倫など、恋愛系コラムライターとして活躍中。「幸せは自分で決める」がモットーです。ブログ:Parallel Line