暴走ちゃんとアイドルライブの共通点

写真:Cyclone_A

暴走ちゃんのステージを見て、自分は初めて「アイドルライブ」というものを見たときの衝撃を思い出していた。アイドル現場に渦巻く、アイドルとヲタの間の共犯関係によって生まれる異様な熱狂、あれを極端にデフォルメすると暴走ちゃんのパフォーマンスになるのかも……そんなことを思った。

また全編を通して過剰なまでの多幸感に包まれているのも、アイドルライブとの共通点と言えそうだ(現役のアイドルファンが暴走ちゃんのパフォーマンスを見てどう感じるのか、とても興味がある)。一見過激なパフォーマンスだが、実は無理強いをしているわけではなく、観客へのケアがきめ細やかなのも意外な発見だった。
 

エンタメにおける「わからない」は最上級の刺激となる

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今回初めて暴走ちゃんのパフォーマンスを見て、自分はとてもとても興奮した。と同時に、正直言うと、自分がなぜここまで興奮しているのか、まったくわけがわからなかった。

あの空間をどう解釈すればいいのか、なにを思えばいいのか、どう消化すればよいのか見当もつかず、終演後はただただ放心状態だった。

で、少し落ち着いてからふと思った。じゃあいつも演劇やその他のエンタテインメントを消費して「”わかった”と感じている」のは、どういうことなのだろうか。

「わからない」ことがあるのは、大体において苦しかったり、落ち着かないものだ。特に学問や仕事において、わからなかったことがわかるようになるということは、経験によって成長するということでもある。

しかしエンタテインメントにおいては「わからない」の価値は反転する。エンタメにおける「わからない」は最上級の刺激に成りうる。それは「わかる」快感とはまったく別種のものだ。