島の歴史を感じる跡の数々


突如現れるフランス積みのトンネル 拡大画像表示

別名、「愛のトンネル」は、暗すぎて「きゃー怖い」と男女がこの中で手をつないで愛が芽生えることが由来らしい。「うまいこと言うよね」と編集部・山岸。

 


中は真っ暗 拡大画像表示

 


目を凝らすと階段が見えた 拡大画像表示

この猿島砲台跡であるトンネルの西壁内側には地下施設があり、アーチ状の開口部は2階と西側斜面へあがる重要な連絡通路だったよう。地下施設は元弾薬庫だったのだとか。

 


テラスの2階に展示されていた弾薬。大きい 拡大画像表示

 


トンネル終点。振り返るとこんなに長い 拡大画像表示

このトンネルには、ところどころアーチ状の開口部、窓がある。全てのものが何かしらの目的をになっていた建物、厳かな佇まい。

江戸時代、幕府が外国船の東京湾侵入を防ぐために砲台を築いたのが、猿島要塞の歴史の始まり。それから終戦まで、一度も使用されたことはなかったが、日本を守る島としての歴史を歩んできた。戦後は一部アメリカ軍に接収されていたが、1995(平成7)年に国から横須賀市が島の管理委託を受けることに。それ以降、観光地として一般人に開放し、現在に至る。

 


昭和時代に設置された高角砲の跡 拡大画像表示

 


破壊された高角砲。1947~8(昭和22~23)年撮影、終戦直後の写真(横須賀市埋蔵文化財報告書第11集より転載) 拡大画像表示

トンネルを抜けると砲台跡が。どれも島の外からは見えないが、中からは見晴らしの良い場所にあった。大正・昭和時代に猿島に設置された高角砲は6つ。対空用の大砲。

島の横浜側にある日蓮洞窟へ向かう。