どう伝えればよいのか
だからといって何でも許していいことではありません。飴や鞭に頼らなくても「それはやってはいけないことだ」と叱り躾ければよいことです。
授業中私語をしたら「授業中は先生のお話を聞く時間ですから口は閉じましょう」とビシッと言えばいいのです。そこで叩いたり廊下に立たせる必要はありません。
家庭でも同様です。も食事を残したら『デザートは抜き』の罰を与えるような言い方ではなく、「全部食べたら最後にデザートにしようね」と言えばいいのです。
同じことを言っているように聞こえますが、受け取る子どもは「食べないために罰を与えられる」とは思わないから不思議です。
また、親を主語にしたり、食べ物を主語にして「せっかく作ったのに食べてくれないと悲しい」、「ニンジンが食べてほしいって言っているよ」というのも工夫の一つです。これも“罰”を与えていることにはならないですね。
餌で釣って教えないで
躾とは社会のルールを一つ一つ丁寧に教えていくことです。力づくで言うことを聞かせることではないのです。
飴でも鞭でも、子どもは親のやっていることを見ています。そして、それを真似するかもしれません。
どうしてかというと、「相手を自分の思う通り動かしやり込めるには、自分の立場や権威を使って相手をやり込めればよい」と親の後姿を通して学習してしまうからです。
さらに自分よりも立場の弱い友達に罰を与えたり、将来、自分が人の親なったとき、かつて親からされた方法を、あなたの孫になるであろう子どもにしてしまうかもしれません。
難しいかもしれませんが、飴と鞭の条件付きの躾はできるだけ止めていくようにした方が賢明かもしれませんね。皆さんはどうお感じになりますか。