そんなこんなで興奮冷めやらぬ中、中山さんに今回のステージの感想や浅草芸能史から見た今回のステージについてずずずいっとインタビューしてみました。どうぞ!

――中山さん、昭和歌謡レビュー、いかがでしたか?

中山「予想以上ですね。こんなレベルの高いものが見れるなんて、正直思っていなかったです。技術があって当たり前、という感じじゃないですか。

未熟なものを見せて親近感を持たせる手法とは全く別物です。もしくはアミューズメントパークのショーのよう。しかも生歌というのは、本当にすごい。

もっと大きな会場でやってもいいくらいだと思いますよ。複数グループの混成で出来上がったいい面が出ているんじゃないでしょうか。アクロバットが得意なメンバー、楽器が出来る男性メンバー、演技が出来るメンバーと、それぞれの役割がしっかり果たされていると思います」

――戦前に浅草で隆盛を極めたといわれるレビュー、当時はどんなものだったんでしょう?

中山「当時ヨーロッパで流行していたレビュー形式のショーを、そのまま再現しようとしたのが宝塚でした。 それに対して、狭い舞台だけど元気はあるぞ!という路線でやっていったのが浅草のエノケンたちなんですね。

宝塚のようにお金がかけられなかったというのもあります。自分達を自嘲して、「インチキレビュー」と呼んだりしましたが、自分達の出来る範囲でレビューを作り上げていきました。さらには、レビューの中にもお色気要素を盛り込んだことで、「金曜日に出る踊り子が、(わざと)パンツをずり落とすらしい」とか、うわさになったんです。

当時はお色気の要素なんてなかなかないですから、それを目当てにお客が詰め掛けました。でも、実際に見てみると、お色気の要素はごく一部。エノケンの笑いと女の子達のしっかりしたショーがメインでした。

昭和初期の人たちは、それを見てびっくりしたんです。舞台でもアドリブ合戦が始まるし、バンドも生だった。インチキって言ってもしっかりしてるじゃないか、と口コミで評判になります。年々、集客規模が倍になっていって、最盛期には浅草で3000人以上が入る浅草国際劇場というホールを連日いっぱいにしました。全盛期は戦前ですね」

――その頃のレビューも、今日のステージのような感じだったんでしょうか?

中山「そうですね。文献で読む昭和初期のレビューを髣髴させます。今回のステージにはアクロバティックなシーンもありますが、浅草にも女剣劇など、昔から女性のアクションの伝統もあるんですよ。

そういう意味で、これまで浅草で行われていた、いろいろなエンターテイメントの要素をミックスしてやっていると思います。同時に、当時そのままではないというのも感じました。かなり現代風にしているんだろうな、と。まず、昔のレビューやってる子達と比べて、ものすごくスタイルがいいですからね(笑)。

よく、懐かしの味ってありますが、当時そのままの味じゃないですよね。当時よりも現代的な味付けにすることで、「ああ、この味だよ」となるはずなんです。今回の昭和歌謡レビューも、いろいろな要素が入る事によって、深い味わいになってると思います」

――終演後にメンバーがフロアを回っていましたね。昔も演者から観客のほうに握手しに行くようなことはあったんでしょうか?それとも、コミュニケーションが重視されるようになったのは最近の流れなんでしょうか?

中山「演者と観客の距離感、というのはなかなか面白いですね。例えば、歌舞伎は江戸時代から富裕層のものだったんです。何百石と禄のある家のものでないと行けなかった。庶民でも見に行くことは出来たんですが、1年中お金をためて、現代で言えばハワイに行く感じで見に行くのがやっと。

出演するのも当時の大スターですから、あまりお客さんとの距離は近くなかったと思いますよ。逆に、旅回りの一座、いわゆるドサ回りの劇団はその十分の一の木戸銭で入れますから、お客さんとの距離も近かったでしょう」

――いつの時代でも、スターになるとファンとの距離が出来る、ということですかねえ。
中山「規模が大きくなると、ファン切りが起きていくのは確かです。エノケンも、浅草から丸の内に進出して、昔からのファンと離れてしまいました。

浅草を捨てた、とファンに言われたこともあったようですね。でも、住んでいたのは浅草の近くで、浅草にはちょくちょく出没していたようです。そのあたりは、浅草と距離を取りながら、年に数回顔を出しているビートたけしと似ているかも知れないですね。

ビートたけしは、浅草で「幻の芸人」とまで言われた深見千三郎にわが子のように育てられていながら、浅草を捨ててテレビで名を上げていきましたから。愛憎様々な感情がありながら、一年に数回は必ず浅草に顔を出しているそうですよ」

――有名になって、「見放された!」と思うファンがいたり、でもやっぱり以前に立ったステージが忘れられなかったり…そういう部分は、現在のアイドルとファン心理とも通じるところがあるように思います。

中山「そうそう、演者とファンといえば、面白いエピソードがありますよ。書籍の中でも触れていますが、三谷幸喜が舞台化、映画化した「笑の大学」に登場する劇作家のモデルになった菊谷栄は、エノケンファンの集いの主催者だったんです。エノケンが在籍した劇団、カジノフォーリーのファンクラブ「カジノフォーリーを見る会」をやっていたのが菊谷栄なんですね。

3~4人のメンバーで、ステージを見終わった後にカジノフォーリーについて語り合っていました。そこに、エノケンが加わるようになります。菊谷はアマチュアですが、二科展に応募するような絵描きでした。そこでエノケンに「絵描きなら舞台の背景の絵を描いてよ」と頼まれました。

普通の画家を目指していたら、本来はそっちには行かないはずだけど、他でもないエノケンに頼まれたわけですから、二つ返事で引き受けたんでしょうね(笑)。舞台美術としてエノケンを手伝うようになって、そのうちに脚本まで書くようになって、エノケンにその才能を愛されるようになります。

召集を受けて出征先の中国で亡くなってしまいますが、死ぬ間際までレビューのことを考え続けていたと言われています」

――うーん、伝説の劇作家、菊谷栄は半ヲタ関係者(アイドルヲタ上がりの関係者やライターを揶揄するヲタ用語)だったわけですね!面白いなぁ…。それにしても、今回のステージ、かなりお客さんが入っていましたね。

中山「ニッパチと言って、興行は2月8月には客入りが悪いと言われているんです。2月でこれだけお客さんが入ってるのは、素晴らしいですよ。アイドルについても、ライブ会場が盛り上がっていますし(筆者注:中山さんはももクロファンです!)、テレビから現場へ、という動きが、若者だけではなく中高年にも起きているとしたら面白いですよね。

ただ、団塊の世代の青春時代だった1960年代には、笠置シヅ子は歌をやめ、エノケンは足を切って義足になっています。二人とも最盛期というわけではありません。ですから、今回の「エノケン笠置」の演目は、浅草の歴史を知るにはうってつけかもしれないですね。もう一つの演目、「シャボン玉だよ!牛乳石鹸」もぜひ拝見したいですし、これから、毎回もっとバラエティに富んだショーをやってくれたら、自分も通うかもしれませんね(笑)」

――現在の30代、40代にストライクな演目が出てきたら鈴木も通うかも!浅草の現場に通うことが当たり前になれば、浅草の「過去に賑わった町」というイメージが更新されて、「今アツイ町」になりますよね。

中山「浅草は間違いなく変わりつつありますよ。昭和歌謡レビューもそうですが、現場でショーを見せる場所が増えてきているようですし、ここ数年はつくばエクスプレスが完成した影響で人手が増えています。さらに東京スカイツリーが出来たことで、これからどんどんお客さんが増えていく可能性がありますよね」

いや、面白い!芸人の町、浅草には様々な人々のドラマがあり、そしてそのドラマは現在まで連綿と続いているのです。土地とそこに息づく人は、切っても切れない強い関係があるわけで、浅草は特にその色が濃い、といったところでしょうか。

土地と人、現場と演者、地域とファン…などなど考えてみると、現在のアイドルブームやご当地グループブーム、もちろんJ-POP、K-POPというカテゴリーについても考えが巡っていきますね。

そういう意味では、まさしく虎姫一座は浅草を代表するご当地グループ!中山さんへのさらなるインタビューもあわせて、また是非レポートしたいと企んでおります!今日のところは以上!浅草はもちろん、「土地と人」なシリーズ、また研究します! 

1977年横須賀市生まれ。ライター/ブロガー。2004年からはてなダイアリーにて、ブログ「鈴木妄想なんじゃもん」を開始。日本各地・アジア各国のアイドルシーンやサブカルチャー/ポップカルチャーについて独自の視点で語り続ける。著作に「新大久保とK-POP」(マイコミ新書)。

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