怜:BAROQUEは孤独だった。だからこそ作ることができた道だったとも思う

将さん(A9) 撮影:shimadamasafumi

——音楽性やルックスのこと以外にも、BAROQUEって「2000年代にヴィジュアル系が武道館に立てるんだ!」っていうモデルを示した部分もすごくあると思うんですよ。ネオヴィジュアル系の成功のビジョンを示したというか。

将:でも俺、BAROQUEはネオヴィジュアル系じゃないと思うなあ。BAROQUEが独断場で切り開いた道に、ウチら辺りのバンドが続いた2007〜2010年ぐらいのムーブメントがネオヴィジュアル系だったと思うんだよね。

さっきの話と重なっちゃうけど、BAROQUEは道を作ってくれたけど、BAROQUEの武道館って、当時で言ったら東京ドームやるぐらいの難しいことだったから、俺たちとまた景色は違ったと思う。

俺たちの時はthe GazettEやシドが先に武道館をやってたから、「普通に登って行った先に武道館がある」ってイメージだったけど、BAROQUEはNHKホールできるバンドもいないなかをぶち抜いて行ったわけだから、モデルというよりも想像つかない領域。

——BAROQUE以前/BAROQUE以降で、ヴィジュアル系には紀元前とその後ぐらいの大きな変化があったと思うんですよ。怜さんは主観でそこを切り開かれて行ってたわけですけども、なにか周りが大きく変化していく感覚ってあったんでしょうか?

怜:俺たちは当時とにかくガキだったからさ。出会った時、圭なんて中学生だったからね。BAROQUEに入ってからは知らないことばかり。けど、勉強しつつとか成長しつつという以前に、とにかく駆け足に目の前にあるステージに向かって走り続けてた感じだったよ。

武道館まで、一気に休まず走り続けてたから周りも全然見えていなくて、今シーンにどういうバンドがいて、どういう状況とか全然知らなかったんだよ。孤立したバンドだったと思う。ヴィジュアル系の友達も少なかったし、孤独だった。

だからこそ作ることができた道だったとも思うんだけどね。武道館に立ったことも正直、明確には覚えていないんだよ。駆け足過ぎちゃって。

将:A9は武道館に立って、逆に課題が見えてやることがさらに増えた感じだった

——規模感や質は違うかもしれませんが、おふたりは一度爆発的なムーブメントのあとに後にバンドのキャパ上げの速度が落ち着いて、活動の内容や楽曲がゆっくり成熟していくところまでを経験してると思います。

武道館ってキャパ上げの節目のひとつだと思うんですが、そこを経験した後にモチベーションを保ちながら上手くバンドと向き合い続けるのって難しくはなかったんでしょうか?

怜:そうだなあ、BAROQUEに加入した時点でまず俺が20歳のときには武道館をやろうっていう話だったからね。モチベーションがどうのとか、そんなの思ってもなくて。音楽はその時々に感じたものを取り入れつつ、今ある全てを全力でって。だからこそ、その後にどうあるべきか、試練は沢山あったよ。

将:A9は武道館に立って、逆に課題が見えてやることがさらに増えたって感じだったかも。これ以上行くには目の前のお客さんを楽しませる+αのことが必要になってくる。「味方になってくれる人どんどん増やすためにじゃあどうすればいいの?」ってところは考えるようになりました。

ここ以上に行くには誤魔化しとか無理矢理になにかっていうのはますます通用しなくなるから、必然的に本当に良いものを作らなきゃいけなくなる。そこがしっかり分かってればバンドのモチベーションはずっと保っていけるんだと思う。