人が生きている。世界は動いている。ロンドンのヒースロー空港でそれを実感

50歳が目前に迫るまでヨーロッパに行きそびれていた。

大きな声では言えないが、飛行機が苦手だからだ。アジアなら2、3時間、アメリカ(西海岸)でも7、8時間のフライトなのでひと眠りすれば何とかなるが、日本からヨーロッパはどこをどう飛んでも10時間超え。

今はロシア上空を飛べないので、日本からロンドンへの直行便は14時間を超えるフライトだ。

それでも、歴史的な円安の今、ヨーロッパへの旅を決行したのには理由がある。

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  • アイルランドから次の目的地イタリアへ飛び立つ小型飛行機。バスや電車に乗り込むように、気軽に国外へ脱出するアイルランド人が多い
  • ユーロ圏内の航空券は安価だが、荷物の預け入れ、座席指定などはすべて別料金。チェックインはほぼスマホのQRコードで行われる
  • アイルランドの名産といえばチョコレート。ホットチョコレートの種類も豊富で、街歩きで冷えた体を温めてくれる
  • 冬は日が落ちるのが早いアイルランド。ダブリンの街を南北に2分するように流れるリフィー川沿いを散歩
  • アイルランドの首都ダブリンの街並み。大き過ぎず小さすぎず、散歩が楽しい規模

アイルランドに留学中の娘に会いに行くためだ。1年ほどの短期留学だし、コロナの不安もある。海外旅行は無理だと決めつけていたが、欧米はアフターコロナの雰囲気になり、日本への入国(帰国)も緩和されたというニュースも。

シアトルや台北、上海で10年以上暮らし、年に何度も仕事やプライベートで旅をしてきた私がヨーロッパの地を踏まずに半世紀。いま行かなければ一生ヨーロッパとは縁がないだろう。

私は14時間超えのフライトに備え、機内で眠れるように睡眠薬や抗不安薬、そして快眠を確保するための首まくら、腰まくら、スリッパ、アイマスクなど、あらゆるグッズをそろえ、さらに眠れなければスマホで配信ドラマを見られるようお気に入りの番組をたっぷりダウンロードした。

今回、ヨーロッパ行きを決めたもうひとつの理由は、「旅に飢えていたから」だ。

多いときは年に5回ほどアジアをさまよっていた私にとって、国外に出られない約3年間はなんとも息苦しかった。

せめて日本国内を旅しようとあちこち行ってはみたが、どうもピンとこなかった。それがなぜなのか、今回の旅ではっきりとわかった。

マスクをしている人はどこ? ロンドン、ヒースロー空港

万全の備えの甲斐あり、ロンドンへのフライトは快適そのものだった。14時間ゆっくり眠ることができたのだ。クッションや着圧ソックスのおかげで体の痛みも、むくみもない。

ヨーロッパ最大のハブ空港、ロンドン・ヒースロー空港に到着して、衝撃を受けた。人、人、人。こんなに密な光景を見たのはいつ以来だろう。

ヒースローに到着した飛行機から吐き出される人々が通関手続きやセキュリティチェックを受けるエリアは長蛇の列。出発ロビーもフライト待ちの人々でごった返している。

マスクをしている人を見つけるのが難しい。ざっと1、2パーセントくらいだろうか。そしてアジア人の少なさにも驚いた。日本だけでなく、中国や韓国でもコロナ禍では厳しい出入国制限があったため、海外旅行をする人はごくわずかだ。

あまりの人の多さにクラクラするのは、ここが巨大空港だからなのか、それともこれがマスクだらけの日本とのコントラストのせいなのか?

周りの人たちの様子を伺いながら、私もそっとマスクをポケットにしまい、「アイルランド」と書かれたトランジットの列に並んだ。

英語だらけの世界

台湾や中国など、中華圏の旅が多かった私は漢字表記の世界は見慣れているが、英語だらけの世界はかなり久しぶりだ。

ヒースロー空港を発ち、アイルランドの空港に降り立った瞬間から、目にするものすべてに「異国」を感じた。初めて訪れる場所がもたらす特別な緊張感と高揚感には中毒性があるようだ。

私が旅をする理由は、この中毒性にあるのだとはっきり言い切れる。国内旅行が癒やしや休息をもたらすなら、海外旅行は冒険と刺激。私にとって、ふたつの旅の目的はまったく違うのだと痛感した。

私のアメリカ仕込みの英語がイギリスやアイルランドで通じるのかも不安だった。娘がアイルランドという留学先を選んだのは、ロンドンよりもこぢんまりとした街で英語を学びたかったからだ。

けれど、アイルランドに渡って驚いたのは、「正しい英語なんてひとつもない」ということ。アイルランドの首都ダブリンはさまざまな人種が混ざりあったカオスだ。

白人でも生粋のアイルランド人ではなく、他のヨーロッパからの移民が多い。さらにアジア系、アラブ系、ヒスパニック系、アフリカ系など、さまざまな人が暮らしていて、誰もが生きるために我流の英語を話している。

だから、英語の発音なんて気にしていられない。意思疎通さえできればどんな英語でもそれが正しいのだ。

アイルランドはパブ天国

アイルランドの首都ダブリンでも有名な昼飲みストリート。観光客や地元の人たちが集まるちょっと高めなパブもある

アイルランドでまず衝撃を受けたのが、街なかにあるパブ(public bar)の多さだ。首都ダブリンのダウンタウンから小さな郊外の町に至るまで、通りには酒場があふれている。

目抜き通りを歩いていて目に入るのは、薬局、パブ、レストラン、パブ、アパレル店、パブ、パブ……といった具合で、パブ率が高い。

しかも、紅葉が始まった並木道、赤や茶色のレンガの建物、可愛らしい出窓やカラフルなドアの数々など、見るものすべてが洗練されている。これがヨーロッパか……と、朝から晩までおのぼりさんは感激しっぱなしだ。

アメリカこそが西洋文化の最高峰だと思っていた私は自らの不明を恥じた。

アイルランドの映像は日本でたくさん見たことがあるけれど、現地に身を置き、生で見ることの衝撃を久しぶりに味わった。

遅すぎたヨーロッパ? いや、満を持してのヨーロッパと言いたい。人生半ばにして訪れる旅先で、こんな感動を味わえるとは。風の強い、夕暮れどきのダブリンの街を歩きながら、自然と笑いがこみ上げる。旅って本当に素敵だ。

アイルランド人は、食べることよりも飲むことを大事にするのだろうか。

仲間が集まったらまずはギネスビール、次はアイリッシュ・ウイスキーといった具合だ。

電子タバコを片手に昼飲みをする若者たち。みなフレンドリーで陽気だ

朝からオープンしている酒場もあり、午後には若者や中高年で賑わう。休肝日などないのでは? と思えるくらい酒を飲む。いや。彼らにとってビールはお茶なのかもしれない。

彼らの酒は明るい。歌あり、笑いありといった雰囲気で、空も人も曇天模様を想像していた私は、いい意味で期待を裏切られた。混み合った店内では若者たちがポテトチップスのような乾き物だけで立ち飲みをしている。

バーホッピング(ハシゴ酒)をするアイルランド人は、私の地元横浜の野毛で飲み歩きする人々のようだ。

案外、似た人種かも。

一方、街の中心から少し外れた静かなパブでは、夕方から中高年の一人客がウイスキーをちびちび飲んでいたりする。これがまた絵になる。

都心から少し離れた小高い丘の上にあるパブレストラン。週末にはアイルランドの伝統ケルティック・ダンスや演奏が楽しめる

上野あたりのガード下酒場でモツ煮をつつきながらひとり酒をするおじさんみたいだ。アイルランドの昼飲み文化、悪くない。