不安定でいびつなまま、瞬間のエネルギーを頼りに転がり続けるかまってちゃんのライブが好きだ。みてる人はもちろん、やってる本人たちも、自分がどこへ転がるかわからないまま全速力で五里霧中を走っているような。

3月11日の震災で、余震の不安と計画停電の心細さのなかで、わたしが頼りにしたのは、4月1日開催予定の神聖かまってちゃん@両国国技館のライブチケットだった。どんなに地面が揺れても、このチケットを持っていれば、4月1日は必ずやってくるのだ、と、なかば祈るような気持ちで、チケットをずっとカバンに忍ばせていた。ライブが中止になったと聞いたときは本当にガッカリしたけど、代わりに全国でフリーライブを行うことを決めた神聖かまってちゃんの心意気にとてもうれしくなった。

その、ツアーの初日、渋谷クアトロで行われたライブ。わたしはこの日のライブを一生忘れない。余震、停電、原発、放射能、これまでの社会の歪みをまるごとむき出しにした3月11日以降の日本で生きてる若者たちが、不謹慎という見えない壁と対峙していた若者たちが、ようやく自我を解放し、生の渇望を叫んだような、そんなライブだった。歌が聴こえる喜びを、音を鳴らせる喜びを、かまってちゃんとオーディエンス側の双方が、ただその喜びを体現するだけで空間を埋め尽くすようなグルーヴが渦巻く、凄まじい光景だった。このライブを観てわたしは、「ツアーファイナルの仙台ライブは絶対に行こう」と決めた。

しかし、仙台でのライブは、両手放しで絶賛できるようなライブではなかった。地下にある会場の薄暗い狭いイメージで、閉所恐怖症のの子さんがどんどんダウンしてしまったそうだ。リハもままならず、このままではライブができないかもしれない、という瞬間もあったらしい。もちろん悪いライブだったわけじゃない。しかし初日のクアトロでみたようなカタルシスはなかった。1曲歌ってはぐだって、1曲歌ってはぐだって、それでもの子さんは、被災地でかまってちゃんを待っていたお客さんのために、なんとか調子を取り戻そう取り戻そうと必死になっていた。結局3時間の長丁場となってしまったことは、そんな彼の誠意のようにも思える。

このときわたしは痛感した。どんな会場であろうとどんなイベントであろうとまったく関係なく、神聖かまってちゃんにとってのライブは、そのときそのときの瞬間がすべてなのだ、と。演奏したさきからセットリストを忘れていくの子さんにとっては、演奏してる瞬間だけがすべてで、どの会場でも己をピークで解放するため、瞬間に命の全部を投げ打つ。いつまでもぐだってローのまま終わることもある。それでも、その一瞬の、てっぺんを目の当たりにすること。それが、わたしが神聖かまってちゃんのライブを観続ける理由で、わたしが神聖かまってちゃんというバンドを好きな理由だ。他にこんなバンドはいない。