メンバーが退場して会場BGMが鳴っても引っ込まず、の子さんはずっとステージでイライラを吐き出していた。客席から響く「延長! 延長! 延長! 延長!」のコール。ちばぎん氏に「ラス1だったらやってもいいって」と言われても「ラス1じゃ足りねーーーーよ!!!」と返し、「こんなんで終わりでいいのかよ!?!??」とずぅっとひとりで発狂をしている。「なにがそんなにイラつくんだよ!?」とmonoくんに聞かれ、しきりに「こんなんじゃ終われない」「お客さんに満足してもらわなければいけない」と繰り返す。でも「じゃあお客さんの聞きたい曲やろうよ」といっても「やんねーーーよ!!!!!」というの子さんにいい加減monoくんがブチ切れ、ふたりのガチ口論が始まる。

高熱のちばぎん氏は座り込んでしまう。ついに、「こんなのまた茶番と思われるだろう!」と叫ぶの子さんをブン殴るmonoくん。「全然痛くねぇーよ!!!!」と言いながらも口から血を流し、泣きながら「お前ぜんぜん分かってねーよ!!!!」と叫ぶの子さんに、今度はみさこさんが「このライブをやるために何人の人が関わってると思ってんだよクソ野郎!!!」と叫びドラムセットを力いっぱいに叩く。の子さんがみさこさんに掴みかかろうとして、みさこさんもそれに応戦しようとして、ドラムセットから飛び出したところをスタッフに取り押さえられ、そのまま強制退場し、この日のライブが終わった。

わたしは神聖かまってちゃんというバンドに過剰なスピード感を求めているわけではない。常に身を削ってアクロバティックな表現をみせてほしいなどとは思ってないし、トラブルがエンタテインメントだとは思わない。今回のケンカだって、わざわざお金を払ってチケットを買って見に来ている客の前ですることでは決してないだろう。だけど、その瞬間、せざるを得ない表現が、鳴らざるを得ない音楽が、彼らのステージにはある。

もちろんいいときばかりじゃないし、今までだって「今日はほんっとにひでえな」というライブを何度も見てきた。でも、その必然が痛いほど伝わってくるから、神聖かまってちゃんのライブはリアルだし、ドラマチックで、わざわざ朝10時に電話しまくってチケットを確保してお金を払って、そんな思いをしても彼らのライブに足を運びたいと思うのだ。

の子さんはステージでどんなに悪態をついても、失敗することの恐ろしさと、全力を出し切れない焦りと、罵倒される痛さと、いつも戦っている。精神薬を飲みながら彼は、ステージに立つプレッシャーの全部を受け止めて、それを超えようとしているように思う。わたしは、その、“超える瞬間”が見たい。彼ら4人のグルーヴで、“超える瞬間”に放つ凄まじいパワーの渦を目の当たりにしたい。それが、神聖かまってちゃんというバンドの底力であり、ライブハウスに行って音楽を体感するということの意味であると思う。

マネージャーの剱さんがステージに現れ「きょうのライブはこれで終わりです」と説明をしてるとき「金返せ!」って野次が飛んでて、その気持ちはわからなくもないけど、でも、むしろ、神聖かまってちゃんが、神聖かまってちゃんを無難にこなしてくライブにこそお金なんか払いたくないよわたしは。この日、の子さんが決して『ロックンロールは鳴り止まないっ』を演奏しようとしなかったこと、それは彼なりの誠意だと信じてる。彼なりの、マンネリへの抵抗だったと信じてる。

もちろん、時間制限との子さんの怒りのなかで、ライブを進めなければというプレッシャーを背負ったメンバーやスタッフの気持ちも痛いほどわかる。「こんな感じになっちゃったけど、お客さんにいいものを見せたいと、メンバー全員そういう気持ちでいっぱいなんだけど……これがかまってちゃんのライブだから許してもらえるとは思ってないんで、配信でもなんでもいいんで、また来て下さい」と最後の最後でちばぎん氏が言った。その気持ちだって、誠意で、真実だ。みんなの気持ちがすこしずつ擦れ違ってしまったライブだったのかもしれない。

だけど、“いいものが見せたい”ために、無難なライブをこなしてくかまってちゃんを観るぐらいだったら、鋭くぶつかっていく彼らそれぞれの、表現への思いを目の当たりにした今日のライブがみれてよかったと思ってる。このライブのことを「よかった」とは決して言わないけど、だけど、この日のライブは、神聖かまってちゃんというバンドの存在意義を問うために、必要不可欠なライブだったんじゃないかと思う。の子さんが放ったこの言葉が好きだ。

 

「死んだらこんな時間は二度とないんだよ!! だからあとで怒られたっていいんだよ!!!!」

 

どんなに酷いライブでも、不安定でいびつなまま、瞬間のエネルギーを頼りに転がり続けるかまってちゃんのライブが、わたしは観たい。