ネガティブなものがカジュアルになって、嗜みのひとつになってきている

――自分のことを書くのに抵抗があるというのは何故でしょうか。

自分自身が「空白」だからなんじゃないかな。今回配信された「ワンピース心中」というヴィデオにしても、浜崎容子が全編に出てて、僕はまったく出てこないんですけど、ただ映像中でつかわれる字幕は僕の手書きなんですね。それだけが遺言のように立ち現れる。これが象徴的ですけど、もう男は文字でいいかな?みたいに思っているフシはありますね(笑)。もういっそ、男は言葉になってしまえばいい。

クリムトの絵で「ダナエ」って作品があるじゃないですか。少女の肉体がまず描かれていて、その周りで男性性の象徴としての神様が金色の液体で表現されているんですけど。「男なんてアレでいいよね!」って気持ちになっちゃう時があるんですよね。それが僕の理想とする男女のあり方なのかもしれない。

 

 

僕は82年生まれで31歳なんですけど、ちょうど今のネット世代と、ストリートの世代のギリギリ中間なんですよね。いわゆる「酒鬼薔薇世代」というか。

――今流行の(苦笑)。

そう! こないだ週刊誌の吊り広告で「82年生まれはネット犯罪者が多い!」みたいに書かれてましたけど(笑)。
ネットとストリートの間の世代だから、ネット犯罪に走るのかな。

「ネオ麦茶事件」「秋葉原連続通り魔事件」…、82年生まれの僕もSNS駆使しながらアーバンギャルドをアジテーションしている時点である種のネット犯罪者なのかもしれない(笑)。
僕らのちょっと上は氷河期世代で、統計的にひきこもりが多いらしいです。

僕らよりも下の世代になると「まあバイトでもして好きに生きていけばいいんじゃない?」みたいな諦念が生まれてきて、それこそ『小悪魔ageha』の表紙に「生まれた時からこんな感じだから、不況だからどうとか言われてもよくわからない」って書いてあったり。それに『小悪魔ageha』といえば「病んだっていいじゃん」というコピーもありましたよね。あれに集約されてますよね。だんだんネガティブなものがカジュアルになって、嗜みのひとつになってきている。不景気にせよ心の病にせよ、笑い飛ばしたりそれはそれで楽しめるようになった。

――「サブカルチャー」が「サブカル」になったように、「メンタルヘルス」が「メンヘラ」と呼ばれるようになってカジュアル化しているというか。

昔だったらリストカット写真をネット上にあげていたような子たちが、今なら自撮りをしているように感じます。似てると思うんですよね。両方とも承認欲求にまみれた「見てくれ」という行為じゃないですか。それが段々慰めの言葉を求めるものから「イイね」を求めるものに変化しつつある。
みんなで傷をなめ合いながら「辛いね」って言い合ってる時代に比べてちょっとハッピーになってるのかな。

もう不況が完全に回復することは絶対に無いじゃないですか、一生不況だし一生震災復興税を払い続け、一生地震を気にして暮らしていく我々世代ですよ!
そんな世の中に諦念して、政治に呆れ果て、だけど楽しく生きていこうって考え方にシフトしているのかもしれない。