【書評】ラーメン=国民食の謎を解く『ラーメンと愛国』

2011.10.31 10:30

ラーメン=国民食というイメージはどのように形成されたのか」という問いを発してみると、即答できる人は少ないはずだ。正面からこの問いに取り組んだ本が出た。速水健朗『ラーメンと愛国』だ。

 「今や国民食といえるほどの人気を誇るラーメン」

 当たり前すぎるほどに当たり前になったこの表現だが、「では、ラーメン=国民食というイメージはどのように形成されたのか」という問いを発してみると、即答できる人は少ないはずだ。「人気があるから国民食なのだ」という循環論法めいた答えが返ってきそうである(人気がない国民食などありえない)。

 正面からこの問いに取り組んだ本が出た。

 速水健朗『ラーメンと愛国』だ。

 全五章から成り立つ本である。第1章から第3章までは、ラーメンが一般家庭で当たり前に食べられるようになるまでの前史について触れられている。

 太平洋戦争とは、大量生産技術を持つアメリカがそれを持たない日本を圧倒した戦争だった。職人芸を好む日本は兵器にまでそれを要求し、零式戦闘機という傑作を生み出す。しかしアメリカは熟練工を必要としない大量生産技術を重視した。だからこそ日本の奇襲攻撃によって主力艦隊を失っても、すぐにそれを生産して補充することができたのだ。

 その技術は農業の分野にも及ぶ。アメリカでは大規模農業で小麦が生産され、それが戦時の食糧需給を賄った。戦後になると、その生産力が余剰を生み出す。敗戦国日本に向けて輸出された復興物資・小麦は、そうした大量生産体制の賜物だった。日米両政府の巧みなプロパガンダにより、戦後の日本には粉食文化が植えつけられていく。

 日清食品の創業者である安藤百福は、その小麦粉を用いて欧風ではない大衆食を生み出そうと考え、チキンラーメンを開発する。このチキンラーメンの商業化成功は、大衆食の大量生産技術が日本でも確立されたことを意味した。チキンラーメン以降、インスタントラーメンが次々に商品化され、ラーメンは家庭でも食べられるものに変わる。商品としての「ラーメン」が特にテレビのCMで連呼されることは、それまではシナソバ・中華そばなどと言われていた食品が「ラーメン」として統合される結果を生み出しもした。チキンラーメンが発売開始された1958年は、ラーメン史において画期的な年なのである。

 第4章、第5章が本書の中枢部分だ。速水は、田中角栄の『日本列島改造論』によって導かれた「地方の時代」、1970年代を中心とし、それ以前と以降の変化に着目している。地方の時代とは、公共事業によって地方の開発が進み、日本全国が均一化していった時代である。そうした無個性化に反発するように、地域独自の名物を新設して観光事業の売り物にしようとする動きが起きる。喜多方ラーメンに代表される「ご当地ラーメン」もその1つだ。一部の店舗で提供されていたメニューがその土地を代表する商品として精錬され、あたかも郷土食であるかのような装飾を施されて売り出される。捏造された伝統の誕生である。そうしたフェイクの商品化をより洗練された形で行ったのが、1990年に創設された新横浜ラーメン博物館だった。

 絶えず新しい話題を欲しがるテレビ局が、フェイクであるはずの「ご当地ラーメン」を既成事実として報道し、定着させていく。テレビの功罪はそれだけではない。「なんでんかんでん」の川原ひろしや「支那そばや」の佐野実、「博多一風堂」の河原成美(速水によれば、ラーメン店員のユニフォームに作務衣を持ち込んだ最初の人物は河原である)といったラーメン店経営者を、テレビはタレント化させた。そして、素人のラーメン店修行をリアリティーショーよろしく番組化し、ラーメン作りが職人芸に支えられる匠の世界であると信じるように視聴者を誘導したのも、またテレビなのである。
1990年代のこうした動きを通して、ラーメンにはフェイクの伝統性が付加されていった。食文化のグローバリゼーションに反発する形で発生したスローフード運動がそうした「伝統」への回帰を後押しした可能性も速水は指摘している。

 たとえそれが捏造されたものであっても、発生したストーリーには信奉者が現れる。こうしてラーメンが国民食であり「日本の伝統」を背負っているという神話が成立することになったのだ。

 前半はラーメンの工業生産品としての側面に光を当て、後半はそれが流通し消費される中でメディアの果たした役割に着目している。中盤でベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(NTT出版)を引き、ラーメンという共通語の発見によって雑多なイメージが集約されていったと指摘する箇所が本書の転回点だろう。これ以降は、実にスリリングな記述が続く。
「作務衣系ラーメン」の推進者の中にスローフード運動の信奉者が多いだろうことは、その手の店を一度でも訪れた経験のある人間ならば誰でも気がつく事実である。その両者の背後に、21世紀型のナショナリズムの形を見出して本書は終了する。マスメディアの進展と、この新しいナショナリズムの発生とは表裏一体の関係にある。ラーメンという一食文化の話がそうした大きなテーマへと敷衍され、翻ってこの国のメディアのありようを見つめなおす視座が提供されるのである。

 本書の終わり近くには、あの「ラーメン二郎」に関する話題が提示されており、「ジロリアン(ラーメン二郎を愛する人々)」の新しい解釈として非常に興味深い。上で紹介したのはあくまでざっとした概括で、読者の関心を引きそうな話題や示唆を故意に削ぎ落として紹介している。関心がある方は、ぜひともご一読されたい。博多ラーメンでいうところのハリガネくらいに噛みごたえのある内容である。

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すぎえ・まつこい 1968年、東京都生まれ。前世紀最後の10年間に商業原稿を書き始め、今世紀最初の10年間に専業となる。書籍に関するレビューを中心としてライター活動中。連載中の媒体に、「ミステリマガジン」「週刊SPA!」「本の雑誌」「ミステリーズ!」などなど。もっとも多くレビューを書くジャンルはミステリーですが、ノンフィクションだろうが実用書だろうがなんでも読みます。本以外に関心があるものは格闘技と巨大建築と地下、そして東方Project。ブログ「杉江松恋は反省しる!

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