作家について書くことを主題とする小説は、常にゴシップ的な関心を引き寄せる。題材にされている作家とは作者自身のことではないか、という疑念を読者に抱かせるからだ。貫井徳郎『新月譚』もまた、そうした類いの作家小説である。

 貫井はどちらかといえば作品と自身の間に距離を置かないタイプの作家だ。距離を置く作家は、掩蔽物によって自身の姿を隠したがる。作中人物の言葉が作家の真意からはほど遠いものであったり、そもそも作品の背後に作家は存在しないのだという風に装ったり。韜晦する作家を小説中から捜すのは面倒なのだ。貫井はそうした偽装をせず、物怖じせずに自らの思いを作品に反映する。作家の姿を作中から見つけ出すのは容易であった。

 だが『新月譚』は、過去の作品とは一線を画する。作中のどの言葉が貫井本人のものであるのか判断は難しく、作家の影は希薄である。1993年のデビュー以降初めて、貫井は作品の中から姿を消した。作家にとっては大きな挑戦だったはずだ。

 主人公は咲良怜花という作家である。49歳の人気絶頂のときに彼女は筆を折った。以来八年間、一切表舞台に出ずに沈黙を守っているのだ。彼女はまた、たぐいまれな美貌の持ち主でもあった。そのことが消えた作家という伝説に神秘性を付与している。

 ある若手編集者が彼女に再び筆を執らせようと決意し、自宅を訪ねる場面から話は始まる。彼は咲良怜花の熱烈なファンでもあった。作家の心を開かせるため、彼は咲良の全作品を再読し、感想を熱い文章に綴って彼女に手渡す。その気持ちにほだされたのか、咲良は重い口を開き、自身の過去について語り始めるのだ。

 それは咲良怜花ではなく、後藤和子という女性の物語だった。短大を卒業して一年後に、彼女は木之内徹という男が経営する小さな会社に就職する。「本を読む女性が好き」という木之内に気に入られたようなのだ。彼は人が無意識のうちに自分の周囲に設けている垣根を乗り越え、相手の心の中へと乗り込んでいく才能の持ち主だった。