たとえとは似ているところがある

ⓒ綿矢りさ・新潮社/「ひらいて」製作委員会

――作間さんはたとえをどんな人だと思っていましたか?

頭がいいな、と思いました。僕もプライベートでやるんですけど、ケンカしたら後々がめんどくさいからケンカはしない、とか。とにかくめんどくさいことになりそうなことは拒むところがあるな、と。

一見、穏やかそうには見えますけど、自分の世界を守りたいから他からの侵入を拒んでいて。その反面、自分のことをわかってくれている美雪のことは大事にする。自分にとって暮らしやすい環境を作りながら生活をしてますよね。

だからこそ、その生活圏を壊すような愛(山田杏奈)に対して、たとえも初めて自分の囲いのようなものを取っ払って向き合うんだと思います。

――たとえに共感する部分はありましたか?

たとえの人を受け入れない感じみたいなのは、自分と似てると言えば似ているところがあって。この業界って出会いが多いんですけど、それが苦手というか、人間関係を広くしていくことが得意ではないんです。

学生時代も同じクラスの人とは最低限の関わりはあったんですけど、他のクラスの人とかに対しては「やめて、来ないで」みたいな感じで(笑)。その辺りはすごく共感できました。あとは監督もおっしゃっていたように、見た目もこんな感じなんだろうな、と。

ただ物語の終盤での愛との夜の教室でのシーンがあるんですけど、そこでたとえが初めて胸の内を打ち明けて、愛に辛辣な言葉を投げかけるんですね。そのときは、たとえが言い過ぎのような気がして、監督と相談してニュアンスを柔らかめに変えてもらうということはありました。

よくよく考えると、それって僕自身の感情を大事にしてしまったのかな、とは思うんですけど。たとえというキャラクター設定を守るのであれば、脚本通りに行くべきだったとも。

でも、目の前にいる愛を見ると、少し同情の気持ちが生まれてしまって。あれ以上のことをやってしまうと、たとえが悪く見えちゃうって思ってしまいました。

ⓒ綿矢りさ・新潮社/「ひらいて」製作委員会

――演じる中で大切にしていたことは?

基本的には僕のままでいいとは言われたものの、「間を空けて」と言われていて。たとえなりに言葉を受け取ってから少し考える間があって、それから言葉を発してほしい、と。それは意識していました。

あとは気持ちを作り込むのではなく、その場でセリフを聞いて、それに対して感情を出す、ということを全体的にはしていました。声の出し方もそのときの感情でぼそぼそ話したければそうしたり。

それから、目を死なせていたというか。僕、昔よく友達から「目が死んでない?」って言われたり、仕事のときも「もっと目を生かして」とかって言われていて(苦笑)。

最近は何とかなっているんですけど、その当時を思い出して、目に力を入れない、というのはやっていました。原作の小説にも「瞳の奥が暗い」というような表現もあったので。

――愛はどんな女の子だと捉えていましたか?

実行するかどうかは別として、学生のころって、愛のように暴れたい、めちゃくちゃにしたい、というような感情を持つ人ってたくさんいらっしゃるとは思っていて。だから普通だな、って。「こういう人もいるでしょうね」と。ただ今回はそれを映画にしているので、より一層過剰に表現しているとは思います。

たとえの目線から見ると、愛は確かに自分の中にズカズカと踏み込んでくる怖い人、ということになるんですけど、その関係性を外側から見てみると、ありえる話だな、とは思いますね。