フィルム時代の特撮を支えたオプチカル・プリンター  ※写真提供 光学太郎、日本エフェクトセンター

映画『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN END OF THE WORLD』によって、再び注目を集めた日本の特撮技術。9月19日(土)の後編公開を前に、日本の特撮技術とは何なのかを振り返ってみましょう!

日本特撮の歴史 円谷プロの挑戦

特撮とは、そもそも何なのでしょうか? 「ちゃんねる16」「日本エフェクトセンター」などでVFXコンポジターとして、さまざまな作品を手掛けてきた内田剛史氏(現フリー)に、話を聞きました。

特撮とは、一般的にミニチュア撮影をベースとした特殊撮影全般をさす言葉で、そのなかの1パートとして合成があります。合成は、ハリウッドで戦前に製作された『キングコング』(1933年)などで、世界中に認知されました。

この技術は、日本でも、特撮の神様と賞された円谷英二氏が開拓。戦時中、『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめとした戦記物で頭角を現した彼は、海外の特撮が人形を使ったコマ撮りを基本としたのに対し、着ぐるみを使用した『ゴジラ』(1954年)を製作したのです。その後、『ガメラ』をはじめ、この技術を用いた作品は、邦画各社で製作されました。

そして、1960年代後半にはテレビの特撮番組の普及により、子どもたちの間で怪獣ブームが起こったのです。

フィルム時代の合成技術

フィルム時代の特撮を支えたオプチカル・プリンター  ※写真提供 光学太郎、日本エフェクトセンター

では、合成とはどのような技術なのでしょうか? 

ミニチュアセットの中で暴れる巨大な怪獣、実際のセットやロケーションのなかを逃げ惑う人間たち、爆破シーンなどが、特撮の醍醐味。これらは別々に撮影されるので、ふたつ以上のフィルムを合成して、ひとつのフィルムにしなければなりません。

これを可能にしたのが、現像済みのフィルムを再度、別のフィルムに光学的に焼き付けることができる「オプチカル・プリンター」でした。

オプチカル・プリンターは1920年代にアメリカで開発されましたが、日本では円谷氏が戦時中に独自で手動式のものを製造。『マタンゴ』製作時の1963年、ようやくアメリカ製のスリーヘッド方式オプチカル・プリンターが購入されました。これは、3つの映像を一度に合成するものです。