刺身はどれもこれも新鮮だ。それに350円ってコープより安い値段ですよ、奥さんっ!
ふと隣に並んだ三人組(カップル+先輩♂)の会話が聞こえてきた。
彼女「高円寺に住み始めてからもうよそで飲めなくなったよね」
彼氏「言えてる。オレ今年28になるんスけど人生で最高びんぼうっすよ」
先輩「まじで? けどここはええよなア。毎日でも来れるわ」
どうやら先輩は関西出身らしい。高円寺はなぜか西の夢追い人を呼ぶ。


先輩は岸和田のちょっとはずれの生まれのようだ。
「相当やんちゃやけど、安い飲み屋がアホほどある町」らしい。
「もうその町じゃ、ぜんぜん働かんと昼から飲んでるおっさんだらけ。
みんなめっちゃ性格いいねん、優しいねん。妖精みたい。
町中妖精だらけ。働かんと人は妖精なんねんな」
などと先輩は深いことをいう。


彼氏「ああそれわかります、仕事て悪魔に魂売ることですもんね。
ボクも高円寺住んで、たまーにしか働かんようになったから、半分妖精です」
彼女「わたしもー。前はキャリアウーマンだったけど。
お金なくてものんびりしてるほうがいいかって醤油舐めながらでもお酒飲めるんです、私。
それに海苔とごま油とごまがあれば、もうごちそう」
と言いながら、200円のいたわさを三人で食べている。


ニッポンの未来が心配だ。ととっさに思う私はがんこ親父だろうか。
魂なんかどんどん売って売って売りまくれ。いや、全部売れとは言わない。
小売りしろ、売り切れないように小袋詰めにしろ。
そうやって一生懸命働いて額に汗したあとのビールが一番旨いんじゃねえのか、若者ども。
もとい、妖精ども!
そこへ、残業を終えた私の連れ(30代♂)が合流した。


朝から忙しくて何も食べていないという。刺身よりがっつりしたものを…と息も絶え絶えだ。
「ビールとブリカマください」と言うと、うなぎ犬大将がまた小股でやって来、
「こちらがさっき頼んだのが最後になっちゃった」と言う。
こちら、とは一人酒の「じろり」のオッチャンだ。
「あ、いいんですいいんです」
「じゃ、さば焼きを」
連れは悪魔に魂を売りすぎたか、塩分を欲しているらしい。
その3分後。オッチャンが半歩、我々に近づいた。


「そっち、カマ食べたいの?」
「やややや」
「大将、カマこっちにあげて。オレはホタテのフライに変更で」
「ややや、悪いですよ」
「いいのいいの、おっきいから一人じゃ食べきれねえかなって思ってたとこだから」
「でもでも」
いいってことよ、といわんばかりにオッチャンはくるりと背中を向けた。
して、カマが登場。


大きい、を通り越して皿からはみでるカマはふたっつ…!!!
「あの、これ一枚いかがですか?」
いいってことよ、とまたオッチャンは目をそらせたまま片手を振った。
シブい。シブすぎる。長年、懸命に働いてきた漢(おとこ)の横顔だ。


一口ごと魚のあまみと肉の旨味とつゆがしたたるカマを夢中で食べる私と連れ。
妖精たちが帰り客の波が引けた頃、オッチャンは厨房前のカウンターに移動した。
「大将、頼むから座ってくれって。今日も忙しかったんだろ」とねぎらっている。
「カマ、ごちそうさまでした! おいしかったです!」
連れと大きな声で言うと、オッチャンはいいってことよと手を振った。
そしてうなぎ犬大将は、朝4時まで店を開けつづける。
立ちっぱなし。小股で走りっぱなし。
妖精たちよ、われわれも一緒にがんばって働こうじゃないか、
せんべろ酒場に何度でも通えるように。
店を出ると爆弾突風がばおんと体当たりしてきた。

 

<今宵のお会計>
ウーロンハイ×2 560円
レモンサワー×2 560円
生ビール 350円
イワシ刺 300円
甘エビ刺 350円
タコ刺 350円
カマ 350円くらい
二人で合計2820円

【店舗情報】
七助
東京都杉並区高円寺北3-22-2
17時~朝4時30分、日祝休

文筆業。大阪府出身。日本大学芸術学部卒。趣味は町歩きと横丁さんぽ、全国の妖怪めぐり。著書に、エッセイ集「にんげんラブラブ交差点」、「愛される酔っぱらいになるための99の方法〜読みキャベ」(交通新聞社)、「東京★千円で酔える店」(メディアファクトリー)など。「散歩の達人」、「旅の手帖」、「東京人」で執筆。共同通信社連載「つぶやき酒場deep」を連載。