ディテールにリアルさを求めるか、求めないか

医療を扱った部分だけでなく、時代考証に関してもいい加減だったのではないかという指摘は多かった。国全体が大変な苦労をして、生き延びることができなかった人たちもいる戦後を舞台としていたのに、登場人物たちがあまりにもノンキに過ごしていたように見えたからだろう。ただ、当然『梅ちゃん先生』にも医療監修や時代考証の専門家はスタッフに入っていたので、ノーチェックでこの作品がつくられていたわけではない。

だからあくまでも、このドラマの企画の中で、プロデューサー、脚本家、演出家をはじめとするスタッフたちが、今回のような落とし所に決めたということだと思う。つまり、そんな大変な時期であっても、明るく前向きに生きたある家族をフィクションとして描いたということだ。このあたりは、東日本大震災後の作品として、ひとつのメッセージになっていたといえるかもしれない。

ただ、ドラマの世界には、大きな嘘をつくには小さな嘘をついてはいけないという格言もある。要するに、フィクションとしてのドラマをつくるには、そこに描かれるディテールはリアルなものでなくてはいけないということだ。細かな設定に嘘があると、見ている者は大きな嘘の話にのめり込めない。つまり、フィクションである世界を楽しむには、その世界に感情移入できるだけの確かな設定が必要なのだ。この作品に批判的だった人たちは、そもそもこの部分に引っかかって、物語の中に入っていけなかったようにも思う。

 

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逆に、『梅ちゃん先生』が好きだった人たちは、こうした設定に関してほとんど気に留めていなかったような気がする。仮に「そんなバカなぁ」というシーンがあったとしても、その中で動く登場人物たちといっしょに笑って見ることができた。なぜなら、細かな設定の甘さをかき消すくらいの魅力を、登場人物たちに感じていたからだ。そういう意味では、梅子のほんわかしたキャラクターなどは、むしろその甘い設定だからこそ活きていたといってもいいかもしれない。

批判的な意見の中には、堀北真希の演技力に疑問を投げかけるものもあったが、もちろん、あのキャラクターは、作品のテイストに合わせてつくったもののはずだ。もし、時代をリアルに描いた作品なら、堀北真希もそういう役づくりをしていたと思う。たとえば、2008年に出演した『東京大空襲』のように……。このドラマは日本テレビの開局55周年記念番組として、第一夜「受難」、第二夜「邂逅」と2日に分けて放送されたものだが、DVDになっているので未見の方は見比べてみるといいかもしれない。