ヴィジュアル系の黎明期から多くのバンドと関わり、”V系の父”と呼ばれた音楽評論家の市川哲史さん。かつてのヴィジュアル系バンドと今のバンドはどう違う? そして目下大ブレイク中の「ゴールデンボンバー」をどう見ているのか? 存分に語っていただきました!
 

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――『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』や『さよならヴィジュアル系』(共に竹書房刊)で、市川さんが一旦過去形にしたはずの「ヴィジュアル系」というものが、ゴールデンボンバーのように変化球だったとしても、再び脚光を浴びているわけじゃないですか。

市川:「V系(←市川氏はヴィジュアル系をこう呼びます)ってなんだ?」という話に立ち返ると、僕が仕事的に関わっていた黎明期から隆盛期――あの時代のバンドたちはそもそも自分たちをV系だとは思ってなかったし、表立ってヴィジュアル系といわれることに否定はしないけど「今に見てろよコラ」みたいな、差別語・侮蔑語的な捉え方をしているバンドが多かったですねぇ(←しみじみ)。

――その頃のバンドは、そもそも「ヴィジュアル系」という概念の無い頃にバンドをはじめたわけですから、「ヴィジュアル系をやろう」と思っていたわけではないのでそうカテゴライズされることに対しての反発があったんだと思います。

市川:V系をやりたくて始めた最初のバンドって、おそらくGLAYだと思うよ?

――函館エクスタシー!(※函館エクスタシー:GLAYのリーダーのTAKUROがアマチュア時代に自主的に作ったレーベル。当然YOSHIKIのエクスタシー・レコードの影響を受けてのこと。)
 

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市川:最果ての地・函館で憧れすぎた純朴な高校生のTAKUROは、とにかくV系をやりたかったのよ。残念なことに本人にはその資質がなかったんだけども(失笑)。そういう意味では、V系って伝統的なロックじゃないわけ。そこでV系をやりたくて始めた最初の奇特な奴がGLAYで、その後の2000年以降の人たちの大量発生から、当たり前の風景になってきたんじゃないのかなぁ。自ら「V系でーす」と積極的かつ晴れやかに名乗るようになったのは、この辺りからでしょうね。

僕もね、DIR EN GREYやムックまではなんとか理解できたんですよ(苦笑)。方向性はどうであれ、「俺達にはこの方法論しかないんだ!」的な必然性があったから。でもそれ以降のバンドになると、単なるスタイルとしか映らなくて――だからもう「V系は終わった」と、私の中では完結させました。

実際いまのV系バンドの子たちって、大酒呑んだり暴れたり壊したりキレたり仕事飛ばしちゃったりしないでしょ? そもそもそこがV系の醍醐味なのに。わはは。

――完全にヤンキー文化でしたからね。そこでゴールデンボンバーの話をしたいんですよ。彼らはおそらくはお酒飲んで喧嘩もしないし、打ち上げで居酒屋壊したりしない、どちらかというとメンタリティは文化系ですよね。そんな「文系ヴィジュアル系」がブレイクした理由っていうのはなんだと思います?

市川:バンドじゃないからでしょ?