いま、イタリアのサッカーはすぐに結果を出さなければ「敗者」になる

イタリアでは特に、ひと昔前のように長期におけるチーム作りをする余裕が監督に与えられなくなっている。これは選手にも言えることで、すぐに結果を出さなければ「敗者」というレッテルを貼る。スペインやスコットランドのように、内容がよければ負けても観客から拍手が送られることは滅多になく、求められるのは結果だ。すぐに白か黒かをつけたがる国民性――その文化的な背景こそが監督交代のスピードに影響している。

国外で成功しているイタリア人監督のひとりであるロベルト・マンチーニ(ガラタサライ)は「イタリアのサッカーはいろいろな面でイギリスなどのサッカーより本質的に遅れている。それにサッカーの試合より、スキャンダルのほうが話題になる」と笑う。

ミランのアッレグリ前監督は「ここ何年も私が解任されるのではないかと言われ続けてきたが、私は生涯ミランの監督であるわけにはいかない。サイクルには始まりがあり、終わりがあるものだ」と話している。彼の言葉はイタリアサッカー界のプレッシャーを受け続けた末に達観した監督の言葉のように思える。

物事をはっきりし、勝ち負けにこだわる国民性もいいが、それだけではかつてのようにセリエAに賑わいは戻らないだろう。

サッカーの本質であるその空間を楽しむ姿勢が戻らなければ、シーズン途中で解任される監督の数が減ることも、長期政権を敷く監督が登場するのも夢物語か。選手の育成もいいが、まずは指揮官を辛抱強く育てる姿勢がイタリアには必要かもしれない。


※本記事は「FOOTBALL DAYS Vol.1」 (2013/12/17発売)の記事を再掲載したものです。