(C)2022「ヘルドッグス」製作委員会

『ヘルドッグス』(9月16日公開)

 深町秋生の小説『ヘルドッグス 地獄の犬たち』を、原田眞人監督が映画化したクライムアクション。

 元警官の出月梧郎(岡田准一)は、愛する人が殺された事件を阻止できなかった後悔から闇に落ち、兼高昭吾と名を変えて復讐(ふくしゅう)だけを糧にして生きてきた。そのどう猛さから警察組織に目をつけられた兼高は、関東最大のやくざ組織「東鞘会」への潜入という危険なミッションを強要される。

 兼高の任務は、組織の若きトップ・十朱(MIYAVI)が持つ秘密ファイルを奪取すること。警察はデータ分析により、兼高との相性が98%という東鞘会のサイコパスな若者・室岡秀喜(坂口健太郎)とバディとなるように仕向ける。かくしてコンビを組んだ2人は、組織内での地位を上げていき、十朱のボディガードとなるが…。

 アクションコーディネーターも兼ねる岡田と原田監督は、『関ヶ原』(17)『燃えよ剣』(21)に続く3度目の顔合わせだが、この映画で初めて現代劇に取り組んだ。

 そして、ダークヒーロー役の岡田、サイコパス役の坂口、妖しい雰囲気を漂わせるMIYAVIによる、「セクシーな男同士の三角関係劇」(原田監督談)が展開される。

 その結果、アメリカのマフィア映画、香港のノワール映画、日本のやくざ映画の、そのどれとも似て非なる、不思議な雰囲気を持った犯罪映画となった。

 また、原田監督作の特徴として、原作の大胆な改変と過去の映画からの引用がある。

 原田監督は、今回影響を受けた映画として、日本を舞台に、潜入捜査官を主人公にしたフィルムノワールで、サミュエル・フラー監督の『東京暗黒街 竹の家』(55)を挙げている。

 また、フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(79)での、カーツ大佐(マーロン・ブランド)の愛読書『金枝篇』からの引用、同じくコッポラ監督の『ゴッドファーザー』(72)からの影響もみられる。

 「黒澤と小津」は「小津」、「『アラビアのロレンス』と『ワイルドバンチ』」は『ロレンス』などと、兼高と室岡が好きな映画について語り合う楽しいシーンもあった。

 原田監督はインタビューで、『関ヶ原』のときは『七人の侍』(54)、『検察側の罪人』(18)のときは『悪い奴ほどよく眠る』(60)と『天国と地獄』(63)、そして『燃えよ剣』のときは『リオ・ブラボー』(59)と『グットフェローズ』(90)といった具合に、意識した映画について語ってくれた。

 監督の多くは、こうした話題は避けたがるのだが、原田監督は、むしろ積極的に楽しそうに語ってくれるところがある。そうしたことを踏まえて、この映画を見ると、また一味違った楽しみ方が発見できる。

『川っぺりムコリッタ』(9月16日公開)

 荻上直子監督が自身の小説を映画化。孤独な青年がアパートの住人たちとの交流を通して社会との接点を見つけていく姿を描く。

 北陸の小さな町にある小さな塩辛工場で働き口を見つけた流れ者の山田(松山ケンイチ)は、社長(緒形直人)から紹介された、南(満島ひかり)が大家を務める古い安アパート「ハイツムコリッタ」で暮らし始める。

 できるだけ人と関わることなく、ひっそりと生きたいと思っていた山田の静かな日常が、隣の部屋に住む島田(ムロツヨシ)が「風呂を貸してほしい」と訪ねてきたことから一変する。

 山田と島田の間には、少しずつ友情のようなものが芽生え始めるが、ある日、島田は山田がこの町にやってきた秘密を知ってしまう…。

 タイトルの「ムコリッタ(牟呼栗多)」は、時間の単位を表す仏教用語で、ささやかな幸せなどを意味するのだという。全体的には、山本周五郎原作、黒澤明監督の『どですかでん』(70)の影響を強くうかがわせる。

 特に、吉岡秀隆演じる墓石のセールスマン親子は、明らかに『どですかでん』の物乞い親子の模倣だ。

 ただ、白飯、牛乳、塩辛、漬物、野菜、そしてすき焼きなどを通して、シンプルに「食べること」について考えさせるところと、骨を媒介に、生と死のはざまや死生観を浮かび上がらせるところが、いかにも荻上流という感じがした。

 いい話のようで残酷なところもあり、シンプルなように見えて実はシュールな映画なので、印象としては、傑作と駄作の間を行きつ戻りつするようなところがあって、見ながら戸惑いが生じた。このあたりも『どですかでん』と重なるところがある。

 ラストも黒澤の『夢』(90)の中の「水車のある村」をほうふつとさせる。荻上監督の映画がここまで黒澤を感じさせるとは、ちょっと驚いた。不思議な存在感を示したムロが好演を見せる。

(田中雄二)