2023.3.25/紀北町「かかし農園」にて

【三重県紀北町発】一面に広がる菜の花畑。時折、遠くにJR紀勢本線の電車が行き交う。あぜ道から一段低くなった畑に降りると、菜の花の香りがさらに強くなる。ここは三重県の南部、東紀州の玄関口にある北牟婁郡紀北町。松永孝さんはこの地で、「かかし農園」なる5ヘクタールの田畑を運営。自家米を天皇陛下に献上した実力者だ。一方、近くの小学校児童の米づくり学習に40年近く協力している。多方面にわたって一年中忙しい松永さんに、菜の花畑のど真ん中で話を聞いた。

(創刊編集長・奥田喜久男)

20代後半の病気がきっかけで

進むことになった農業への道

――畑の中にある松永さんの休憩小屋から、一面の菜の花を眺めながら――

今回、この時期に来ることができてうれしいです。いい香りですねえ。

香りもいいですけど、つぼみや葉っぱは食べられるんです。おいしいですよ。

いつ頃から植え始めたんですか。

5年くらい前ですかね。農業ってちょっと暗いイメージがあるから何か明るいものがほしいなと思って。

そうしたら好評でいろんな人が来てくれます。摘んでいかれるなら持ち帰り用の袋もありますから。

え。そんなものまで用意されているんですか。

はい。持ってきていない人のためにね。

聞く話によれば無料で開放されているとか。

そう。みんなは有料にしろと言いますけどね。まあ、いいかと(笑)。

それにしても見事です。

いつもはもっと背が高いんですが、去年、基盤整備をしたので、まだちょっと土がカチカチで硬くてね。

基盤整備というと、僕なんかは仕事柄、“産業”のほうをイメージしますが、農業にもあるんですね。

農業の担い手のために、国や県や町が主体となって、土地改良や農用地開発などを計画的に整備してくれるんです。

農家は誰でも整備してもらえるんですか。

いろいろ条件があります。中山間だと5ヘクタール以上の農地があることや、地権の問題とか。

中山間…?

農業地域の区分の一つで、平野の外側の部分と山間部の間の地域。いわゆる田舎の土地ですね。日本の国土面積の約7割にあたります。

ということは、松永さんが管理されている土地は5ヘクタール以上あるんですね。それってどのくらいの広さなんですか。

えーと。1辺が100メートルの正方形の面積が1ヘクタール。坪数でいうと約3000坪ですね。

おお。それは広い。ちなみに基盤整備にかかるお金はどのくらいになるんでしょう。

どうだろう…。何千万円になると思います。

何にかかる金額ですか。

業者さんへの支払いです。入札して業者を決めてね。私たちは1円も出さなくていいんです。

なるほど。ところで、先ほど基盤整備で土地が硬くなったとおっしゃいましたが、なぜですか。

業者さんがやってくれるんですが、土地の表土(土壌の表層部)を30センチメートルくらい剥がして、下の土を整備してまた戻す。掘り起こすと大きな石なども出てきますから、それも拾ったりして。ブルドーザーで何度も行き来するので、土がものすごく硬くなるんです。

整備は業者だけど、それをほぐすのは松永さん?

そうです。トラクターで10回くらい掘り返して耕してほぐします。

松永さんは最初から農業をやろうと思っていらしたんですか。

いやいや、大学は経済学部でしたし、卒業後は小学校や中学校の講師をしていました。でも、25歳の時に腎臓を悪くして入院することに…。それで退院してからは身体の様子を見ながら親父を手伝うようになりまして。

そうか。ご病気されたことがきっかけで農業に。

そのうち親父が亡くなって、自分だけでやっていく時にちょっと米に力を入れようかなと。

そう思われた理由は?

野菜より米のほうが価格面でね。いいかなと。

県の代表として

皇居の新嘗祭に米を献上

米づくりは順調でしたか。

いやいや。最初の頃、農薬をあまり使わないでいたら、カメムシに食われてしまって。そういう米が混じると検査で等級が悪くなってしまうんです。

米にはどんな等級があるんですか。

1等級、2等級、3等級、規格外という格付けです。最初はほとんどが規格外で、よくて3等だったんですが、農薬はあまり使いたくない。何とかならないかと農協に聞いたら、虫食いの米や小石などの異物を光センサーでチェックして、圧縮空気で瞬時に飛ばせる光選別機があると。

そんな機械があるんだ。

でも、すごく高くて300万円くらいしたんです。悩んでいたら、教師をしていた女房がちょうど退職したときで、退職金で買えばいいと。

ほお。すばらしい。

それで思い切って買いました。同時に米を乾燥する遠赤外線の乾燥機も新調して。

それも奥様の退職金で。

いや、乾燥機は自分で買いました(笑)。そうしたら、とにかく米がキレイでおいしくなりまして。近所でも評判になって。

それはすごい。やはり機械のおかげですか。

そうですね。あとはこのあたりは地下水を汲み上げて田んぼに引いているんですが、それもいいらしいです。基盤整備のおかげで、自動給水になって水持ちもよくなり、水稲で一番大切な水管理が楽になりました。

そうか。基盤整備はそういうことにも関係してくるんですね。

(ちょっとはにかみながら)私、天皇陛下に米を献上したことがあるんです。

え。松永さんが!

はい。2010年のことです。皇居で行われる新嘗祭に、毎年各都道府県から献上米を献納するんです。でも候補者がいなくて、紀北町の農業委員会の会長から「松永くん、キミが行ってらっしゃい」と。

ご指名がかかった。

米を献上する「献穀献納式」という式典には夫婦での参列になるんですが、女房も退職していてタイミングもよくてね。なかなかできる経験じゃないから行ってみようと。

献上米はどんなふうに納めるんですか。

いつもは式典の時に持参するらしいんですが、その年は皇居で工事があったとかで、一升枡に入れて事前に送ってくださいと。で、送ったところハプニングが。

何があったんですか。

式典の1日前に上京して、鎌倉に遊びに行っていたところに、県の農林課から「大変だ!献上する米が届いていないと宮内庁から連絡があった!」と電話があって。

え!?

いや、焦りました。もうびっくりです。でも、たまたま送り状を財布に入れていて。送り状番号を伝えて調べてもらったら、宮内庁に届いていることがわかって。

じゃあ、宮内庁の中で迷子に。

そうなんです。なんか本来とは違うところに置かれていたとかで…。本当にハラハラしました。

心臓に悪かったですねえ。肝心の式典はいかがでしたか。

いろいろな行事のあとに、天皇皇后両陛下の前で名前を呼ばれて、「松永孝さん、米一升、確かにいただきました」と。

それは晴れがましい。

はい。本当に。農業を続けていてよかったと思いましたね。(つづく)

「献穀献納式」当日の記念写真

式典の入場待ちをしている間に、当日担当してくれたハイヤーの運転手さんが写してくれた1枚。背景に見える橋は皇居の二重橋。前日の献上米行方不明事件を乗り越え、ひと安心の二人。奥様は色留袖の正装。松永さんのモーニングは、この日のために借りたのだそうだ。

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。