松尾スズキ(C)エンタメOVO

 大人計画を旗揚げし、主宰として作・演出・出演を務めるほか、小説家・エッセイスト・脚本家・映画監督・俳優など多彩に活動する松尾スズキ。2020年からは、Bunkamuraシアターコクーンの芸術監督に就任するなど、その活躍はとどまるところを知らない。そんな松尾が、生誕60年の節目に、初の個展「松尾スズキの芸術ぽぽぽい」を開催する。松尾に絵を描こうと思ったきっかけや個展について、さらには芸術・演劇への思いを聞いた。

-個展を開催しようと思ったきっかけを教えてください。

 コロナ禍で濃厚接触者になって自宅待機をすることになったときに、部屋にずっといたら殺風景なのが気になってきたんですよ。それで、絵の1つでも飾ろうかと思ったのですが、外に行って選ぶこともできない。それならば自分で描こうと。自分の部屋に昔、描きかけたキャンバスがあったことを思い出して、それを全部塗りつぶして新たに描き直したんですよ。描いているうちに楽しくなってしまって、自分でやっているメールマガジンに写真を撮って発表していたのですが、そうするうちに、「こんなにも描いているなら個展をやりませんか」というお話をいただいたので、それならとやらせていただくことになりました。

-そのコロナ禍で最初に描いた絵は、どんな発想から生まれたものなのですか。

 装飾のための絵なので、びょうぶっぽいものを描きたかったんです。自分が思い出すびょうぶには雲がある。それで、雲ありきの絵を描いてます。ちょっと新しいシンびょうぶになるかなと(笑)。

-松尾さんにとって、絵を描くことと作家としてその本を書くこと、演出をすること、そして俳優として演技をすることは、全てつながっている感覚なのでしょうか。それともそれぞれに、例えばスイッチがあって切り替わっていく感じなのでしょうか。

 僕は物心ついたときから絵を描いていたんですよ。もともと漫画が好きだったので、その模写から始まって、テレビで見た「ウルトラマン」の怪獣を描いていました。小学生の頃には、コマ割りをして漫画も描いていたので、その流れでせりふも書いて、登場人物にはもちろん演出をつけて…。なので、全体がつながっているという感覚はあります。僕の場合は、始まりは絵なんですよね。

-その後、劇団を作ったということも、絵がスタート地点だったという感覚があったのですか。

 紆余(うよ)曲折がたくさんありましたから、言うほどたやすくはないですが(苦笑)。東京に来て、サラリーマンをしていたんですが長続きせず、それで、漫画の持ち込みを始めたんです。でも、いくら持ち込んでも「訳がわからない」と言われて、自分のストーリーはエンタメに向かないな、と。それなら、学生時代にやっていた演劇にもう一回、かけてみようと思ったという流れでした。なので、絵は1度挫折しているんですよ。

-なるほど。それがコロナ禍で再び描くようになったということなんですね。松尾さんにとって絵を描くことの楽しさや魅力はどこにありますか。

 他人のこと考えなくていいということですね(笑)。僕は“バランス取り屋”なので、人前に出ると人のことばかり考えてしまうんです。それはそれで楽しいんですが、家に帰ったときにどっと疲れる。文字と絵だけは誰にも邪魔されない時間だと思っています。(絵を描いているのは)子ども時代にやっていたことと変わらないですね。その頃は、部屋で落書きばかりしていたから、よく「外に遊びに行きなさい」と言われていましたが、本当にその延長線上なんです。嫌なことはもうやりたくないんですよ。60にもなると(笑)。

-今回の個展では、トークイベントや上映会も予定しています。トークイベントには、KERAさんと片桐はいりさんとの対談が予定されていますが、それぞれどのような内容になるのですか。

 ほぼ白紙です(笑)。ですが、バンドを入れて、歌ったりもする予定です。KERAさんもはいりさんも還暦仲間なので、年を取ったものが陥りがちなノスタルジックな会になるんじゃないかなという気はしています。それでもいいんです。僕たちは、20代の頃から知り合いなので、まだ誰も知らない当時のことを話せたらと思います。

-さらに松尾さんのひとり芝居「生きちゃってどうすんだ」の上映と江口のりこさん、宮藤官九郎さんとのスペシャルトークも予定されています。二人はどういった思いからの人選なんですか。

 宮藤は大人計画で1番喋れる人です。

-松尾さんとのトークショーは貴重な機会ですね。

 『30祭』のとき以来ですね。とにかく彼はラジオも長くやっているので、安心して話してもらえればと思っています。江口さんとは「ツダマンの世界」でご一緒させていただきましたが、その当時は、コロナ禍ということもあってあまり個人的な話もできなかったので、今回ぜひに、と。劇団で活躍されていた人間がこんなに売れるってあまりないことなので、そんな話もしたいですね(笑)。

-今回上映される「生きちゃってどうすんだ」は松尾さんが50歳のときの作品ですが、それから10年で、創作に対する変化はありましたか。

 それまでは自分のやりたいことをやっていればいいんだという思いで生きてきましたが、今はお客さんが自分に対して何を望んでいるのかを考えながらやるようにはなりました。やっぱり客ありきの世界なので。今回の個展も、自分が客として2000円払うんだったら、たくさんの絵を見たいだろうとか、自分が客だったら?ということは、常に考えています。ひとり芝居をしたことで人前で表現することの厳しさは、身に染みたんですよ。(その後)シアターコクーンの芸術監督になって、自分の作品のことだけを考えていればいい状況ではなくなったことも、商業演劇をやっているんだという意識が自分の中で強くなったきっかけだったのだと思います。またいつか傲慢(ごうまん)な人間に戻るかもしれませんが、今はそういうモードになっています。

-では、松尾さんにとっての舞台や芸術とはどんなものですか。

 生きていくためのものとしか言いようがないですね。

-大人計画を立ち上げた際には、どのようなテーマを掲げていたのですか。

 何を書こうということではなかったです。自分がそのときに思いついたストーリーをみんなでやりましょうということでしたので。その後、笑いとテレビや映画では見られない重層的な話という2本柱でやっていくというのは、自然と定まっていったように思います。いずれにしろ、笑いというもので勝負していきたいという思いはあります。子どもの頃からお笑いが好きだったので、コメディアンになりたいという気持ちもどこかにあったんですよ。ただ、演劇が一番居心地がいい場所だったので、気が付いたらやっていたというような感覚でした。

-創作意欲は尽きることはないのですか。

 浮かばなくて悩むということはあまりないかもしれません。何か一つに取り掛かっていると、次のアイデアが頭に浮かんできてしまって、携帯のメモに書きつけているので。あとで読むと何を書いているのか自分でも分からないことがありますが、浮かんでいることは確かなのだと思います(笑)。

-では、松尾さんが観客として舞台作品、演劇作品を見るとき、どんなところに楽しさや面白さを感じていますか。

 映像に撮ったものは安定しているじゃないですか。動きようがないし、失敗しようがないものが展開されるわけですよね。でも、演劇は生身の人間がやるから、置きにいった演技をしているとすぐに退屈してしまうんです。練習のあとが見えると面白くない。なので、いかに今この場に新鮮でいられるのかが勝負どころなんだと思います。ただ、生なので、どうしても失敗する可能性が出てくる。その失敗する可能性があるものを見るというスリルが面白いんだ、と僕は思います。

-でもそれは、稽古をあまりやらないということとはイコールではないですよね?

 稽古はふんだんにやるけれども、その上で、その舞台で今この瞬間を生きているということを見せられるかどうか。そこに生身の人間のスリルがあるんだと思います。稽古したことに安住して、置きにいく会話のやり取りを見ているとどうしても冷めてしまうので、そうならないものを僕は作ろうとしてるし、そういうものが面白い演劇だと思っています。

(取材・文・写真/嶋田真己)

 生誕60周年記念art show「松尾スズキの芸術ぽぽぽい」は、12月8日~15日に都内・スパイラルホールで開催。