(C)野田サトル/集英社 (C)2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会

『ゴールデンカムイ』(1月19日公開)

 日露戦争の旅順での鬼神のごとき戦いぶりから「不死身の杉元」の異名を持つ杉元佐一(山崎賢人)は、ある目的のために一獲千金を狙い、北海道の山奥で砂金採りに明け暮れていた。

 そんな中、杉元はアイヌ民族が強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った「のっぺら坊」と呼ばれる男は、捕まる直前に金塊を隠し、そのありかを暗号にした入れ墨を24人の囚人の体に彫って彼らを脱獄させた。

 金塊を見つけ出すべく動き始めた杉元は、野生のヒグマに襲われたところをアイヌの少女アシリパ(山田杏奈)に救われる。彼女は金塊を奪った男に父親を殺されており、その敵を討つため杉元と行動を共にすることになる。

 一方、大日本帝国陸軍第七師団の鶴見篤四郎中尉(玉木宏)と、戊辰戦争で戦死したとされていた新選組副長の土方歳三(舘ひろし)も、それぞれ金塊の行方を追っていた。

 明治末期の北海道を舞台に、アイヌ埋蔵金争奪戦の行方を描いた野田サトルの同名漫画を実写映画化。ほかに眞栄田郷敦、工藤阿須加らが共演。監督は「HiGH&LOW」シリーズの久保茂昭。

 北海道を舞台に、史実とフィクションを融合させた冒険譚という意味では、アイヌとの交流を描き、土方が生きていたとした手塚治虫の漫画『シュマリ』、あるいは佐々木譲や逢坂剛の小説の系譜にも連なるだろう。

 アイヌの少女に扮(ふん)した山田が大健闘を見せる。ただ、アイヌ言葉ではなく、共通語を流ちょうに話すところに違和感があるが、杉元にとっては彼女がアイヌ文化の案内役となるのだから、これは仕方ないところか。

 アクションの多い伝奇ロマンとして見応えがあったが、原作漫画は長編であり、2時間足らずの映画で描き切れるものではない。それが分かっていながら映画化したのは、始めから続編やシリーズを想定したためか。

 いずれにせよ、去年公開された『沈黙の艦隊』同様、これからというところで話が終わり、肩透かしを食ったような感じがしたのは否めない。

『僕らの世界が交わるまで』(1月19日公開)

 DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営するエヴリン(ジュリアン・ムーア)と、インターネットのライブ配信でシンガーソングライターとして人気者となった高校生の息子ジギー(フィン・ウォルフハード)。

 社会奉仕に入れ込む母と、フォロワーのことしか頭にない息子は、互いに相手のことが理解できず、すれ違うばかり。そんな中、母と息子は、どちらもないものねだりの相手に引かれ、迷走していく。

 この映画の製作会社は、『ムーンライト』(16)『ミッドサマー』(19)『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(22)など、異色作を連作する「A24」。

 俳優のエマ・ストーンがプロデュースし、『ゾンビランド』(09)『ソーシャル・ネットワーク』(10)『嗤う分身』(14)『ビバリウム』(19)などで個性的なキャラクターを演じたジェシー・アイゼンバーグが監督・脚本を務めた。

 アイゼンバーグは「高い倫理観を持つ女性が、自身の子どもが、大義ではなくイメージやお金、ポップカルチャー、『いいね!』をたくさん獲得するという夢に魅了されたら、どんな反応を示すのかと考えたことが、製作の発端になった」と語る。

 その言葉通り、母と息子との心理的な葛藤、断絶が皮肉を込めて描かれるのだが、他人の面倒を見ながら自分の息子とはうまくコミュニケーションが取れないエヴリンの生き方は、どこか偽善的で自己満足なものにも見える。

 そんなエヴリンは、家庭内暴力を受けた母親と共にシェルターに助けを求めに来たカイル(ビリー・ブリック)に理想の息子像を見て過剰に世話をするが、逆にカイルにうとまれてしまう。

 一方、ジギーは同じ高校に通う聡明(そうめい)なライラ(アリーシャ・ボー)に気に入られようと、付け焼き刃で政治や環境問題を語ったり、歌を作ったりするが、ライラに底の浅さを見破られて軽蔑される。

 2人の空回りする姿は滑稽だがどこか悲しい。「あなたが世界を救うのを終えたとき」という原題は、終わりのない2人の自己愛の強さに対する反意語とも取れるのだ。このあたり、アイゼンバーグのアイロニカルな視点が光る。

 また、この映画は無力な父親(ジェイ・O・サンダース)の存在も含めて、家族内の不協和音という意味では、ロバート・レッドフォードの監督デビュー作となった『普通の人々』(80)とも通じるものがある。俳優出身の監督は、こうした題材に魅力を感じる傾向があるのだろうか。さて、この問題を抱えた母と息子が、それぞれの失敗を経てたどり着いた結論とは…。

(田中雄二)