身に覚えのない罪をきせられ、故郷の彦根藩を追われ浪人となった柳田格之進(草なぎ剛)は、娘のお絹(清原果耶)と江戸の貧乏長屋で暮らしていた。そんなある日、旧知の藩士からかつての事件の真相を知らされた格之進は復讐(ふくしゅう)を決意する。古典落語の「柳田格之進」を基に、白石和彌監督が初めて時代劇のメガホンを取った『碁盤斬り』が、5月17日(金)から全国公開された。公開を前に白石監督に話を聞いた。
-今回が初めての時代劇ですね。ずっと時代劇を撮りたいと思っていたとのことですが、実際に撮ってみていかがでしたか。
もう楽しいことしかなかったです。当然難しいこともありましたが、やっぱり実際にやってみないと、自分に何が足らないのか、今の日本映画界で時代劇を作る時に何ができて何ができなくなっているのか、そういうことは当然分からないので、やってみていろいろな発見があったという感じです。
-この映画の基は「柳田格之進」という落語で、脚本が加藤正人さん。今回は脚本ありきというところがあったのでしょうか。
そうですね。加藤さんは囲碁好きで、死ぬまでに囲碁の映画を形として残したいという野望があって(笑)。仲間と一緒に飲んでいた時に、それだったら「柳田格之進がいいじゃないですか」と聞き直して、やっぱりこれだとなったらしいんです。ただ、落語のままだといろいろと話が足りない。だから、復讐の話とか、若者たちの恋愛とか、エンターテイメントとしていろんな要素を入れて。脚本になる前のプロットを読んでみてと言われた時は、大体今の形になっていました。
-実際にそれを映画にしていったわけですが、いかがでしたか。
まあストーリーは面白いんですけど、やっぱり囲碁が難しいんです。僕は簡単なルールを知っているぐらいですが、将棋もチェスも相手の駒を取ってなんぼじゃないですか。囲碁も石を取る瞬間はあるんですけど、ぱっと見どちらが優勢なのかが分かりづらい。それを映画の中にどう落とし込むのかということをめっちゃ考えました。それで、ギャラリーに解説をさせるというところにたどり着きました。スポーツの実況みたいに、「ここは攻めだ」とか「分かんねえな」とか言わせたりして。脚本にも1回マックスで解説を入れてもらって、あとは足したり引いたりしながらやっていきました。
また、落語だとやっぱりキャラクターが一面的になって、源兵衛(國村隼)もただのいいおじさんみたいな感じです。それを、憎まれている源兵衛が格之進と囲碁を打つことで、美しい魂に触れて優しくなっていく感じにしました。キャラクターを掘り下げたり、ニュアンスをちょっと変えるだけで、人物の奥行きが変わっていくので。
-この映画は、前半が人情話というか、ちょっとほのぼのとした感じです。それが後半の復讐劇に入ってからは、陰惨な感じに転調していきますが、そこは意識しましたか。
とても意識しました。動と静とまでは行かないまでも、やっぱり転調してから映画の味が変わる感じにしたいと思っていました。なので、前半はできるだけ静かにしておいて、急激な変化が訪れるお月見の日を境に、話が急に変わるようにしました。だから後半は、時代劇というよりは、西部劇のように、復讐のために宿敵を追い駆けていくみたいな感じに見えるといいなと思いながらやっていました。
-格之進役の草なぎ剛さんですが、また新しい姿を見た気がしました。例えば、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』(02)の真田広之さんに通じるものがあると思いました。
そう言ってもらえるとうれしいです。草なぎさんが普通に自然に、難しいことを考えずにやらせてくれたので、とてもやりやすかったのと、後半、転調してからは、さっき西部劇って言いましたけど、そこからはもう無精ひげにはなるわ、月代(さかやき)も伸ばしっ放しになるわで、どこをどう歩いてきたのみたいに汚れているんですけど、そんな草なぎさんを見て、「僕は汚い侍を撮りたかったんだ」ということに気付かされました。その瞬間、先々の映画の企画についてのインスピレーションが湧いたりもしました。
-草なぎさん以外の俳優の演技で印象に残ったことはありますか。
お絹役の清原さんは、あの若さなのにりんとしていて、誰よりも大人な感じがするし、中川大志くんの弥吉はすごく難しい役で、一歩間違えたら「こいつ頭悪いのかな」みたいな見え方をするところも感情で乗り切ってくれました。また、落語は「あの50両はどうしたの?」という話だから、実際に源兵衛が厠(かわや)に行く前にあそこに入れるのは、絵的にはどうなのかなと思ったけど、國村さんにやってもらったら、至って自然な感じがして、改めて俳優ってすごいなと思いました。脚本で困っている時は、大体役者が助けてくれます。
-今回は、時代劇の本場の京都で撮影したそうですが、以前、役所広司さんが「時代劇は継続や伝承が大事。例えば、結髪や衣装でも伝承していかないと途絶えてしまう。だから時代劇は絶対になくしてはいけない」と言っていました。監督もそういう思いを持ちましたか。
京都に行くと、本当にそう思います。僕は助手の人に至るまで、彼らはスタッフではなくて全員がクリエーターだと思っています。そういう意味では、まだまだ腕のいい想像力豊かなクリエーターが京都にはたくさんいます。一度なくなると、それを復活させるのは本当に大変なことだから、できるうちに継承して、みんなでやっていかなければいけないし、何なら国が補助金を出して、年に何本か時代劇を作らせるということをやってもいいぐらいの話だと思います。
-今回、初めて時代劇を撮ってみて、今後も撮ってみたいと思いましたか。
新しい企画は時代劇しか考えていないです(笑)。現代劇はあまり考えたくない(笑)。それぐらい今は時代劇に魅力を感じています。以前から、海外の映画祭などでディレクターやクリエーターと話していると、「何で君たちは時代劇を作らないの。侍や忍者の映画を作らないの」と言われます。彼らはみんな時代劇を見たいんですよ。だから、実は日本映画にとって時代劇がストロングポイント、売り物であるということを日本の映画界が忘れてしまっているということです。それは今後の課題だと思います。
-監督の映画は割とハードな内容のものが多いですが、今後も時代劇を撮っていくとしたら、そういう形のものも撮ってみたいという気持ちはありますか。
あります。むしろそっちの方を撮ってみたいです。この映画みたいなハッピーエンドじゃないバッドエンドのものを。例えば、三隅研二監督の映画の、刀で人を斬ったらどうなるかってことに生涯を費やした人とか、刀で斬られて真っ二つになる人とか、そういうことをやってみたいです(笑)。時代劇ってジャンルのようだけど実はジャンルではなくて、モチーフなだけなんです。だから時代劇の中にもいろんなジャンルがある。もちろんホラーだってできるし、戦争ものだって作れる。本当に無限の可能性があると思います。
-最後に、映画の見どころなども含めて、読者に向けて一言お願いします。
基本はエンタメとして描いているので、囲碁が分からない、時代劇は苦手だという人でも楽しめる映画になっているので、その辺は心配せずに見に来ていただければと思います。今の日本人が忘れてしまった品格やわびさびの雰囲気を、特に若い人に見て感じてもらいたいなと思います。
(取材・文・写真/田中雄二)