比較国際教育学、アフリカ研究の専門家である山田肖子氏が、自身の四半世紀にわたるアフリカでのフィールドワークから、人間の本質的な営みである「まなび」について考える『学びの本質』を10月17日、新潮社より刊行いたします。








■「人間ならではの知」とは何か
 ときどき、現代社会に生きる私たちは創造性を発揮しないように訓練されてしまっているように感じることがある。学問は細分化され、それぞれの枠組みにはまらない越境的な研究が生まれにくくなっている。官僚機構も企業も古いものほど組織のルールや手順が複雑化し、前例のないことが評価されにくくなっている。おかしなことだが、人間を飼いならしているのは、人間が作った制度そのものなのである。
 ChatGPTは発信者の学問分野や立場、国籍の違いなどに関わりなく、ネット上の大量の情報から学んでいるのに、AIの学習の情報源である人間は、往々にして枠組みを超えた発想をしないように訓練されている。
 この訓練は私たちの生育過程や社会生活の中に深く織り込まれ、気づかないうちに「常識」となって私たちの思考にフィルターを掛ける。しかし、フィルターは絶対ではなく、時代や環境によってアップデートが必要である。そのことを私は、アフリカの植民地時代から現代までの教育と知識について考察する中で気づかされた。
 本書では、そうした気づきを得るまでの旅路を振り返りながら、人間はいかにして知識を獲得し、いかにして新たな知を生成するのか、いわば「学びの本質」について考えを述べたいと思う。
(「序章 学校という檻から飛び出す教育」より)

■目次
序 章 学校という檻から飛び出す教育

第1章 アフリカとの出会い
アフリカ人の心を失わず、ヨーロッパ人の知性を身に付けたリーダーを育てる――ゴールドコースト植民地総督の言葉に見え隠れする、支配と介入の意図を探る。

第2章 作られた教育システム
イギリスが支配するアフリカ植民地に、アメリカから「黒人教育モデル」が輸出される。歴史を遡り辿り着いたのは、今なお続く途上国援助の問題点。

第3章 人は何のために学ぶのか?
欧米の「革新」的な授業、アフリカの「伝統」、そして手作業や肉体労働の重視――アフリカのエリート校アチモタから見えてきた、植民地時代の教育の目的とは。

第4章 学校はどんどん変わっている
「ひとはなぜ学校に行くのか」「そもそも、学校に行くことは当たり前なのか」エチオピアとガーナを調査しながら「学び」の主体性を解き明かす。

第5章 社会で求められる能力
問題を把握し、結果に至る道筋を考え、自分の知識や技術を組み合わせることで解決する――現代社会で必要とされるのは「非認知能力」という、見えないスキル。

第6章 アフリカから日本の教育を見つめる
学校に通いながら工場で仕事を学ぶ、大学を中退し起業、就職は官僚よりコンサルタント。アフリカと日本の若者を取り巻く、学びとキャリアのセルフプロデュース。

第7章 AI時代の学習とは何か
情報の入手が極めて容易になった現代、私たちは表面的な情報であれば瞬時に得ることが出来る。テクノロジーは学びの場に一体何をもたらし、何を奪うのか――。

第8章 何を語るかではなく、誰が語るか
SNSでいいね!がたくさん付いた情報は本当に正しいのか? これからの時代の知識伝達のカギになるのは、発信者の言葉の信頼性と道徳性。

終 章 価値が多様な時代にもとめられる知恵

■書籍内容紹介
日常生活から難解な科学理論にいたるまで、現代のネット社会では、欲しい情報の入手にはほぼ困らない。では、人はなぜ学校に行くのか。教師や教科書を通して知識を得るためか、それとも経済的に恵まれた仕事につくためか――長年アフリカをはじめ世界の教育政策と歴史を研究してきた著者が、自身の試行錯誤を振り返りながら、「学ぶ」という人間の本質的な営みの核心へと迫る。AI時代の到来を見据えた画期的論考。

■著者紹介
一九六八年(昭和四三)年、東京都生まれ。名古屋大学国際開発研究科教授。専門は比較国際教育学、アフリカ研究。早稲田大学法学部卒業後、コーネル大学修士課程、インディアナ大学博士課程修了(Ph.D)著書に『国際協力と学校』『アフリカのいまを知ろう』などがある。

■書籍データ
【タイトル】学びの本質
【著者名】山田肖子
【発売日】10月17日
【造本】新書版
【本体定価】990円(税込)
【ISBN】‎978-4-10-611060-3
【URL】https://www.shinchosha.co.jp/book/611060/
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