永瀬正敏 (C)エンタメOVO

 国家によって、ある"最新技術"を用いた延命治療が推進されたそう遠くない未来。一定の階級より上の人間たちが病に侵された時、全く同じ見た目の自分である"それ"が提供されたら? そして病の身代わりになってくれたら? 甲斐さやか監督が20年以上をかけて構想し書き上げ、映画化した『徒花-ADABANA-』が、10月18日から全国公開された。本作で、主人公の新次(井浦新)の主治医を演じ、カメラマンとしても参加した永瀬正敏に話を聞いた。


-まず、最初に脚本を読んだ印象からお願いします。


 甲斐(さやか)監督はチャレンジャーだなと思いました、クローンという題材については、過去にもたくさんの名作があるのに、あえてそこを突き詰めていこうとしているなと。そしてそこにはいろんな問題も含まれている。さすが甲斐監督だなと思いながら読ませていただきました。


-実際に演じてみて、患者である新次役の井浦新さん、臨床心理士のまほろ役の水原希子さんとの絡みも含めて、いかがでしたか。


 最初に脚本を読んだ時に、この映画の時間軸の中で監督が表現したいことは何だろうと考えました。そして何度も読み返して深く入っていくと、僕は新次の主治医の役ですけど、存在してはいけないのかもしれないと思いました。だから、極力フラットに、“いかにも”という存在感を出さないようにした方がいいと思ったんです。僕の役は、新次とまほろの心の中の葛藤というか、肯定と否定、天使と悪魔というか、それが具現化されたものだと勝手に受け取りました。だから、僕は映らなくてもいいぐらいだったんです。僕よりも新次の顔で、そこに僕の声が乗っかっていって。でも監督の表現したい葛藤の両面を表したいんだけど、僕の役は一切否定をしないで、「あなたは生きるべき」「とても人間ぽい」ということを2人に投げ掛ける。それを“いかにも”という表現で不安定さを出すのではなく、たとえば、無言の時にペンをカチカチと音を立てて表すのはどうでしょう?と監督にご相談しました。不協和音的なものとして。だから、監督の編集で僕の顔が全く映らなくてもいいぐらいの感じでした。この映画にとって大事なのは主治医の顔が映る映らないの問題じゃないと思っていました。


-新次に「手術をする」と言いながら、結局何をするのかは具体的に言わないですよね、


 監督がそこをあえて描かないところが素晴らしいというか、ただの色にしないというか、「そこを見せたいのではないんだ」と僕は思っています。先ほどお話ししたように僕の役は存在してはいるのだけれど、どちらかといえば、新次の心の声が具現化されたものじゃないかなと思っていました。衣装も白衣を着ていますから。白というのは、これから何かに向かっていく無垢(むく)みたいなイメージと、白装束は死を連想する色でもあるから、そういう存在でいるべきではないかと勝手に解釈していました。なので、具体的な文言や執刀シーンは僕もいらないと思っていました。監督が描きたいのはそこではないというか。


-甲斐監督の前作『赤い雪Red Snow』(19)にも出演していますが、監督の世界観には独特のものがあると思いますか。


 あります。監督の問題提起というか、思考が逃げていない。ごまかさない。手法ではなく独自の視点があります。そこは言語が違っても分かってもらえるんじゃないかなと思います。だから、日本だけではなく、いろんな国の人に見ていただきたい。前作も今回の作品もそう思いました。監督の世界観をもっといろんな人に知ってほしいです。『赤い雪』が終わった後に、「アイデアがあるなら、機を逸さずに立て続けに撮ってください」という話をしたぐらいです。


-共演した井浦新さん、水原希子さんの印象は


 新くんは、彼がまだ俳優を始める前から知っていますので、信頼関係はもう十分あるんですけど、今回は座長然としていて素晴らしかったです。場の作り方が非常に大人です。水原さんとお芝居させてもらうのは2回目かな。真摯(しんし)に役を理解しようとして深く深く入っていく方。今回の「まほろ」役でもそういうものを強く感じました。

-今回は、ポスターなどの写真を撮るカメラマンとしても参加したんですよね。どんな気持ちでしたか。


 めちゃくちゃうれしかったです。以前、行定勲監督の作品でポスターと写真集を作るというので写真を撮ったことがありました。その後、正式にカメラマンとしてオファーを頂いた作品があったんですけど、その作品の監督がお亡くなりになってしまって実現しなかったんです。なので、今回はもうとてもうれしくて。俳優としてよりもカメラマンとして参加した日数の方が多いぐらいでした。監督が書かれた映画のイメージ画を最初に見せていただいて、じっくりお話しを聞かせていただいたのは非常にうれしかったです。そこから受け取るものはとても多かったですし、すごく助けられながら写真を撮らせてもらいました。


-永瀬さんの中で、カメラマンというのは俳優とまた違った意味での表現方法として大きなものなのですか。


 とても大きいです。もともとは祖父が写真館をやっていたんです。写真館のカメラマンなので写真家ではなく、写真師なんですが。ある時、祖父が書いた写真に関する研究ノートや種板って言うんですけど、ガラスに焼き付けたネガがいっぱい出てきて…。もし戦争や戦後の混乱がなかったら、祖父はちゃんと写真をやりたかったんだろうなということに気付きました。祖父が真剣に写真と向き合っていたことを知ってから、より人物が撮りたくなりました。だから、僕が撮るというよりも、祖父と一緒にシャッターを切っているような感覚なんです。写真を撮る時は、常に祖父が守ってくれているような気がします。


-今回の写真に込めた意図というか、どういうコンセプトでしたか。


 少し早めに入ってロケハンをさせてもらった時に、ここで撮影をするという場所のガラスの映り込みがすごく良かったんです。それで、外の景色が顔や体にかかったりする映り込みによって表現できる二面性、“自分とソレ”という関係性が表せるんじゃないかと、この映画のテーマとつながると思って撮らせてもらいました。他にもいろいろ撮りましたが、その中の1つをデザイナーさんに選んでいただいたということです。


-完成作を見た印象は?


 まずは多くの方に見ていただきたいと思いました。そして欲張りですが、監督の次の作品も見たくなりました。音楽も美術も衣装も、ヘアメークも含めて細部にこだわって妥協されてない。それがこの作品の中できちんと結実して主題を表す一部になっている、やっぱりすごいなと思いました。甲斐監督の心の中にある世界観を、1人でも多くの人と共有したいという思いがあるので、どんどん広がっていってほしいですし、すぐにでも次の新作に入ってほしいです。


-そうしたら、声だけでもいいからまた出るんですよね。


 もちろんです。お声を掛けていただければ喜んでうかがいますし、写真だけだと言われても喜んで(笑)。


-最後に読者に向けて、見どころも含めて、永瀬さんなりのアピールを。


 新くんと水原さんがすごいチャレンジをしている作品ですし、監督が言いたいいろんなテーマがこの作品の中に含まれているので、それを受け取っていただけるんじゃないかと思います。監督が最初のアイデアを考えたのは随分前で、その後、少子化問題やパンデミックがあって、そうしたいろんなものを含めての今という意味では、先見の明があった作品でもあると思います。まずは劇場に来ていただいて、体感していただきたいと思います。


(取材・文・写真/田中雄二)