【研究の要旨とポイント】
匂い(揮発性有機化合物〔VOC, *1〕)は、植物の防御反応の活性化をはじめとしたさまざまな植物間コミュニケーション(トーキングプランツ、*2)に関与しています。
植物には動物のような嗅覚器官はありませんが、VOCを感知して応答するための特殊な受容体やシグナル伝達経路を持っていると考えられています。
本研究は、植物に対するVOCの作用、その認識メカニズムについてのこれまでの知見を総括し、持続可能な農業の促進に向けた新たな戦略の展望を拓いています。
【研究の概要】
東京理科大学 先進工学部 生命システム工学科の有村 源一郎教授、上村 卓矢助教は、植物間コミュニケーションにおける匂い(VOC)の作用や、植物がVOCを感知するメカニズムに関するこれまでの研究成果についての総説論文を発表しました。また、これらを農業や園芸技術に実装するため、コンパニオンプランツ(共栄作物、*3)やバイオスティミュラント(生物刺激剤、*4)を利用した農作物栽培システムについても紹介しました。
植物はVOCを他の生物とやりとりすることで、互いにコミュニケーションすることが知られています。例えば、花が放出する匂いはチョウやハチなどの花粉を運ぶ昆虫を誘引する作用があります。また、植食性昆虫に食害された葉から放出される匂いはその昆虫の天敵である捕食性昆虫を呼び寄せる作用があります。このようなVOCを介したコミュニケーション現象は半世紀前から知られていますが、動物の鼻に相当するような、揮発性の化学物質を受容する特殊な感覚器を持たない植物がどのようにVOCを感知するかは未だ解明されていません。しかし、最近の研究の進展により、そのメカニズムが少しずつ明らかになっています。そこで、本研究グループは、これらの知見を実際の農業や園芸に応用することも踏まえて、研究成果をまとめた総説を作成しました。
本研究では、主に、植物に対するVOCの効果や植物がVOCを認識するメカニズムなど、現在までに明らかとなっている植物間コミュニケーションに関する知見が総括されています。また、農業や園芸分野では、コンパニオンプランツやバイオスティミュラントといった環境にやさしい新たな技術が開発されており、農薬や化学肥料の代替となる手法が紹介されています。本研究内容を活用することで、植物間コミュニケーションを応用した持続可能な農作物栽培システムの実現が期待され、農業・園芸技術のさらなる発展が見込まれます。
本研究成果は、2024年10月11日に国際学術誌「Trends in Plant Science」にオンライン掲載されました。
【研究の背景】
植物は自ら移動できないため、VOCを放出・受容することで他の生物とコミュニケーションを行うことが知られています。例えば、植食性昆虫に食害された植物が放出するVOCは、周囲の植物に伝わり、防御反応を強化するトリガーになることが確認されています。近年、この植物間コミュニケーションの詳細なメカニズムが徐々に解明されつつあります。
また、植物が放出するVOCは地球環境や生態系にも大きな影響を与えます。例えば、樹木から毎年数百テラグラム規模で放出されるテルペンは、エアロゾルの形成を通じて、気候へも大きな影響を及ぼします。したがって、植物間コミュニケーションにおけるVOCの循環システムを解明することは、生態系や大気環境のメカニズムを理解する上で重要であり、自然環境保全に向けた新たな知見をもたらすと期待されます。
一方、農業分野においては、過度な農薬使用が環境や生態系に与える負荷が問題視されており、食の安全性がますます求められています。こうした課題に対し、植物から放出されるVOCは農作物が害虫に対する抵抗性を強化する情報伝達物質として機能することから、植物間コミュニケーションを応用した有機栽培技術の開発が期待されています。
本研究グループは、植物間コミュニケーションを介した植物の防御反応のメカニズムや、植物から放出されるVOCの作用に関して、数多くの成果を挙げてきました(※1, 2)。そこで本研究では、VOCが植物に与える影響や、植物がそれに応答するメカニズムについて、さまざまな研究成果をもとに考察し、総合的にまとめました。
※1: 東京理科大学プレスリリース(2022年3月10日)
『被食者の匂いに応答した植物の防御反応発現メカニズムを解明 ~植物間コミュニケーションによる害虫抵抗性の向上機構の一端が明らかに~』
URL: https://www.tus.ac.jp/today/archive/20223039_2590.html
※2: 東京理科大学プレスリリース(2024年3月21日)
『ローズ精油を利用したトマトの害虫防御技術を開発 ~害虫抵抗性を高めるだけでなく、天敵の誘引作用も~』
URL: https://www.tus.ac.jp/today/archive/20240319_2969.html
【研究結果の詳細】
1. 植物に対するVOCの効果
VOCは、環境由来のストレスからの保護、病原菌の成長抑制、植物の生長調節、植食性昆虫に対する天敵の誘引、防御反応の刺激など、植物にとって有益となるさまざまな役割を果たしています。これらの化合物は、植物組織が損傷したときに放出されるだけでなく、花や芳香植物からも大量かつ恒常的に放出されています。特に、VOCの一種であるテルペンは近縁種だけでなく他の種の反応も誘発することが確認されており、このような遺伝的に関連のない個体間であってもコミュニケーションが成立することは不思議で、非常に興味深いです。
2. 植物がVOCを認識するメカニズム
植物はガス交換プロセスを介して気孔から内部組織に直接VOCを吸収することができます。VOCが取り込まれた葉細胞では防御応答が活性化されますが、そこに至るまではVOCを輸送する分子やVOCに結合して活性化される分子などが関わることが近年明らかにされつつあります。つまり、植物には動物のような嗅覚器官が存在しませんが、葉細胞に直接VOCを取り込んで、以降の細胞内シグナル伝達を誘発する特有の分子機構が存在します。
3. 植物間コミュニケーションの農業や園芸への応用
農業や園芸にVOCを応用することは、作物の防御力を強化し、生産性の向上をもたらすと同時に、農薬や有害な化学物質への依存を減らし、環境にやさしい栽培システムの実現を可能にします。そのためには、効果的なVOCを放出するコンパニオンプランツを混植することが重要ですが、その実装のためにはコンパニオンプランツとの距離、栽培環境など、さまざまな条件を最適化する必要があります。
また、コンパニオンプランツの代替として、低コストの精油を処理する方法が挙げられます。例えば、β-シトロネロールを豊富に含むローズ精油は、トマトの葉の防御特性を強力に活性化します。1×10 5倍希釈した非常に低い濃度の水溶液を調製して鉢植えの土壌に散布することで、必要な量を最小限に抑えることができます。
このように、コンパニオンプランツや植物間コミュニケーションを促進するバイオスティミュラントの潜在的な応用は、農業および園芸技術として発展しつつあります。これらの技術を実際の現場で効率的かつ費用対効果の高い方法で使用できるように調整すれば、近い将来、応用化が可能であると期待されます。
本研究を主導した有村教授は、「1983年に植物間コミュニケーション現象が初めて報告されて以来、さまざまな植物間においてその実例が示されてきましたが、そのメカニズムの解明は進んでいませんでした。しかし近年、植物体内における匂い輸送や結合因子が同定され、詳細な作用機序が解明されつつあります。また、これらの成果を農業・園芸技術に実装する動きも活発化しています。これらの背景から、植物間コミュニケーション現象の新しい概念と知見を発信・議論するために、本論文を執筆しました」と、意義を語っています。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)の科研費(20H02951, 24K01723, 24K18197, 24H02134)の助成を受けて実施したものです。
【用語】
*1 揮発性有機化合物(VOC)
常温常圧で揮発しやすい有機化合物の総称。
*2 植物間コミュニケーション(トーキングプランツ)
植物が匂い物質をやり取りして情報交換するプロセス。例えば、植食性昆虫に攻撃された植物は揮発性の化学物質を放出することで、周囲の他の植物に警告する。これにより、直接攻撃を受けていない他の植物も防御物質を生成し、植食性昆虫から身を守るようになる。
*3 コンパニオンプランツ(共栄作物)
近くで栽培すると、植食性昆虫の食害を抑えたり、生長を助けたりして互いに良い影響を及ぼし合う植物。
*4 バイオスティミュラント(生物刺激剤)
農薬、化学肥料、土壌改良剤などとは異なり、植物の生長を促進したり、環境による非生物的ストレスへの耐性を高めたりする物質。
【論文情報】
雑誌名:Trends in Plant Science
論文タイトル:Cracking the plant VOC sensing code and its practical applications
著者:Gen-ichiro Arimura and Takuya Uemura
DOI:10.1016/j.tplants.2024.09.005
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匂い(揮発性有機化合物〔VOC, *1〕)は、植物の防御反応の活性化をはじめとしたさまざまな植物間コミュニケーション(トーキングプランツ、*2)に関与しています。
植物には動物のような嗅覚器官はありませんが、VOCを感知して応答するための特殊な受容体やシグナル伝達経路を持っていると考えられています。
本研究は、植物に対するVOCの作用、その認識メカニズムについてのこれまでの知見を総括し、持続可能な農業の促進に向けた新たな戦略の展望を拓いています。
【研究の概要】
東京理科大学 先進工学部 生命システム工学科の有村 源一郎教授、上村 卓矢助教は、植物間コミュニケーションにおける匂い(VOC)の作用や、植物がVOCを感知するメカニズムに関するこれまでの研究成果についての総説論文を発表しました。また、これらを農業や園芸技術に実装するため、コンパニオンプランツ(共栄作物、*3)やバイオスティミュラント(生物刺激剤、*4)を利用した農作物栽培システムについても紹介しました。
植物はVOCを他の生物とやりとりすることで、互いにコミュニケーションすることが知られています。例えば、花が放出する匂いはチョウやハチなどの花粉を運ぶ昆虫を誘引する作用があります。また、植食性昆虫に食害された葉から放出される匂いはその昆虫の天敵である捕食性昆虫を呼び寄せる作用があります。このようなVOCを介したコミュニケーション現象は半世紀前から知られていますが、動物の鼻に相当するような、揮発性の化学物質を受容する特殊な感覚器を持たない植物がどのようにVOCを感知するかは未だ解明されていません。しかし、最近の研究の進展により、そのメカニズムが少しずつ明らかになっています。そこで、本研究グループは、これらの知見を実際の農業や園芸に応用することも踏まえて、研究成果をまとめた総説を作成しました。
本研究では、主に、植物に対するVOCの効果や植物がVOCを認識するメカニズムなど、現在までに明らかとなっている植物間コミュニケーションに関する知見が総括されています。また、農業や園芸分野では、コンパニオンプランツやバイオスティミュラントといった環境にやさしい新たな技術が開発されており、農薬や化学肥料の代替となる手法が紹介されています。本研究内容を活用することで、植物間コミュニケーションを応用した持続可能な農作物栽培システムの実現が期待され、農業・園芸技術のさらなる発展が見込まれます。
本研究成果は、2024年10月11日に国際学術誌「Trends in Plant Science」にオンライン掲載されました。
【研究の背景】
植物は自ら移動できないため、VOCを放出・受容することで他の生物とコミュニケーションを行うことが知られています。例えば、植食性昆虫に食害された植物が放出するVOCは、周囲の植物に伝わり、防御反応を強化するトリガーになることが確認されています。近年、この植物間コミュニケーションの詳細なメカニズムが徐々に解明されつつあります。
また、植物が放出するVOCは地球環境や生態系にも大きな影響を与えます。例えば、樹木から毎年数百テラグラム規模で放出されるテルペンは、エアロゾルの形成を通じて、気候へも大きな影響を及ぼします。したがって、植物間コミュニケーションにおけるVOCの循環システムを解明することは、生態系や大気環境のメカニズムを理解する上で重要であり、自然環境保全に向けた新たな知見をもたらすと期待されます。
一方、農業分野においては、過度な農薬使用が環境や生態系に与える負荷が問題視されており、食の安全性がますます求められています。こうした課題に対し、植物から放出されるVOCは農作物が害虫に対する抵抗性を強化する情報伝達物質として機能することから、植物間コミュニケーションを応用した有機栽培技術の開発が期待されています。
本研究グループは、植物間コミュニケーションを介した植物の防御反応のメカニズムや、植物から放出されるVOCの作用に関して、数多くの成果を挙げてきました(※1, 2)。そこで本研究では、VOCが植物に与える影響や、植物がそれに応答するメカニズムについて、さまざまな研究成果をもとに考察し、総合的にまとめました。
※1: 東京理科大学プレスリリース(2022年3月10日)
『被食者の匂いに応答した植物の防御反応発現メカニズムを解明 ~植物間コミュニケーションによる害虫抵抗性の向上機構の一端が明らかに~』
URL: https://www.tus.ac.jp/today/archive/20223039_2590.html
※2: 東京理科大学プレスリリース(2024年3月21日)
『ローズ精油を利用したトマトの害虫防御技術を開発 ~害虫抵抗性を高めるだけでなく、天敵の誘引作用も~』
URL: https://www.tus.ac.jp/today/archive/20240319_2969.html
【研究結果の詳細】
1. 植物に対するVOCの効果
VOCは、環境由来のストレスからの保護、病原菌の成長抑制、植物の生長調節、植食性昆虫に対する天敵の誘引、防御反応の刺激など、植物にとって有益となるさまざまな役割を果たしています。これらの化合物は、植物組織が損傷したときに放出されるだけでなく、花や芳香植物からも大量かつ恒常的に放出されています。特に、VOCの一種であるテルペンは近縁種だけでなく他の種の反応も誘発することが確認されており、このような遺伝的に関連のない個体間であってもコミュニケーションが成立することは不思議で、非常に興味深いです。
2. 植物がVOCを認識するメカニズム
植物はガス交換プロセスを介して気孔から内部組織に直接VOCを吸収することができます。VOCが取り込まれた葉細胞では防御応答が活性化されますが、そこに至るまではVOCを輸送する分子やVOCに結合して活性化される分子などが関わることが近年明らかにされつつあります。つまり、植物には動物のような嗅覚器官が存在しませんが、葉細胞に直接VOCを取り込んで、以降の細胞内シグナル伝達を誘発する特有の分子機構が存在します。
3. 植物間コミュニケーションの農業や園芸への応用
農業や園芸にVOCを応用することは、作物の防御力を強化し、生産性の向上をもたらすと同時に、農薬や有害な化学物質への依存を減らし、環境にやさしい栽培システムの実現を可能にします。そのためには、効果的なVOCを放出するコンパニオンプランツを混植することが重要ですが、その実装のためにはコンパニオンプランツとの距離、栽培環境など、さまざまな条件を最適化する必要があります。
また、コンパニオンプランツの代替として、低コストの精油を処理する方法が挙げられます。例えば、β-シトロネロールを豊富に含むローズ精油は、トマトの葉の防御特性を強力に活性化します。1×10 5倍希釈した非常に低い濃度の水溶液を調製して鉢植えの土壌に散布することで、必要な量を最小限に抑えることができます。
このように、コンパニオンプランツや植物間コミュニケーションを促進するバイオスティミュラントの潜在的な応用は、農業および園芸技術として発展しつつあります。これらの技術を実際の現場で効率的かつ費用対効果の高い方法で使用できるように調整すれば、近い将来、応用化が可能であると期待されます。
本研究を主導した有村教授は、「1983年に植物間コミュニケーション現象が初めて報告されて以来、さまざまな植物間においてその実例が示されてきましたが、そのメカニズムの解明は進んでいませんでした。しかし近年、植物体内における匂い輸送や結合因子が同定され、詳細な作用機序が解明されつつあります。また、これらの成果を農業・園芸技術に実装する動きも活発化しています。これらの背景から、植物間コミュニケーション現象の新しい概念と知見を発信・議論するために、本論文を執筆しました」と、意義を語っています。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)の科研費(20H02951, 24K01723, 24K18197, 24H02134)の助成を受けて実施したものです。
【用語】
*1 揮発性有機化合物(VOC)
常温常圧で揮発しやすい有機化合物の総称。
*2 植物間コミュニケーション(トーキングプランツ)
植物が匂い物質をやり取りして情報交換するプロセス。例えば、植食性昆虫に攻撃された植物は揮発性の化学物質を放出することで、周囲の他の植物に警告する。これにより、直接攻撃を受けていない他の植物も防御物質を生成し、植食性昆虫から身を守るようになる。
*3 コンパニオンプランツ(共栄作物)
近くで栽培すると、植食性昆虫の食害を抑えたり、生長を助けたりして互いに良い影響を及ぼし合う植物。
*4 バイオスティミュラント(生物刺激剤)
農薬、化学肥料、土壌改良剤などとは異なり、植物の生長を促進したり、環境による非生物的ストレスへの耐性を高めたりする物質。
【論文情報】
雑誌名:Trends in Plant Science
論文タイトル:Cracking the plant VOC sensing code and its practical applications
著者:Gen-ichiro Arimura and Takuya Uemura
DOI:10.1016/j.tplants.2024.09.005
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