中村橋之助 (C)エンタメOVO

 明治に生まれ、大正、昭和を生き、「ゴンドラの唄」「東京音頭」「シャボン玉」「てるてる坊主」など、童謡、歌謡曲、音頭、民謡などさまざまなジャンルの約2000曲を残した作曲家・中山晋平の生涯を描いた、神山征二郎監督の『シンペイ 歌こそすべて』が1月10日から全国公開される。本作が映画初出演、初主演となり、18歳から65歳までの晋平を演じた歌舞伎俳優の中村橋之助に話を聞いた。


-本作が映画初出演でしたが、いかがでしたか。


 僕は歌舞伎役者ですけれども、演劇全体がすごく好きなんです。今後僕が役者として生きていく上でも、映画はトライしてみたいことの一つでもあったので、お話を頂いた時はうれしかったです。中山晋平さんについては存じ上げなかったんですけれど、お話を伺ってから調べてみて、こういう方ならぜひやらせていただきたいと思いました。


-中山晋平について調べていく中で、これも彼の曲だったのかという発見はありましたか。


 それはもうたくさんありました。例えば、僕は野球が好きなので、神宮球場でかかる「東京音頭」にはなじみがありましたが、調べていく中で、「シャボン玉」もそうですし、「あめふり」だったり、これもそうなんだというのがたくさん出てきました。


-いろいろと調べたりする中で晋平について興味が湧いてきた感じですか。


 「なぜ今中山晋平なのか」と思いましたが、プロデューサーをはじめ、神山(征二郎)監督も「中山晋平は、本来はスポットが当たるべき人なのに、なかなか当たることがなかった。だからこそスポットを当てるべきだし、当てられるだけの人生を歩んだ人だった」とおっしゃっていました。僕は、すごいサクセスストーリーだと感じました。田舎から出てきた好奇心旺盛で才能のある書生がトントン拍子に成功していくという絵に描いたような話ですが、演じていく中で晋平さんの人間らしさを出せたらいいなと思いました。


-晋平のキャラクターについてはどう思いましたか。


 田舎から出てきた真っすぐな才能あふれる青年というのはもちろんですが、僕が一番感じたのは、自分が作ったものに対する自信をしっかりと持っていたということです。それもほわっとしたものではなく、自分が時間と思いをかけて生み出したものは、自信を持ってしっかりと前に出していくという覚悟を持っていた。それが世間に評価されて偉大な作曲家になったのだと思います。


-演じる上で気を付けたことや心掛けたことはありましたか。


 一番気を付けたことは、年齢的にうそがないようにということでした。撮影も年齢順に撮っていくわけではなかったので、撮影に入る前に台本をしっかり読んで、そのシーンは晋平さんにとってどういう出来事が起きていたのかを考えました。シーンとシーンとの間で描かれてはいないけど、ここは3年ぐらいたっているとか、時系列と照らし合わせて年齢とその時の西暦を台本に書いてみました。そのように、全体像をしっかりと捉えてから撮影に入りました。


-晋平の若き日から亡くなるまでを演じるのは大変だったのでは。


 難しさはありました。僕は今29歳ですけど、晋平さんが「カチューシャの唄」のヒットから結婚するあたりまでは、ある程度自分でも経験してきたことや想像がつく範囲でしたが、そこから先の年齢は、リアルに感じられるところではなかったのでなかなか大変でした。そこに関しては、晋平さんは昔の方ですから、NHKの古典芸能鑑賞会の先人たちのインタビューの口調を参考にしたり、あとは父(中村芝翫)を結構参考にしました。父は今58歳なので、多分僕が年を取ったらこういう感じの動きになるなとか、50代になったら相当似てくるだろうし、実際もう似てきているので…。それが晋平さんのキャラクターに直接反映されたというよりも、やっていく中で自然にリンクしていったのであればいいと思います。

-大ベテランの神山監督の演出はいかがでしたか。


 最初に監督とお会いした時は、髪も紫だし、サングラスをかけているのでめちゃめちゃ怖いおじいちゃんだと思ったんです(笑)。でも、本当に自由に演じさせてくださいました。まず僕が思う芝居をさせてから、監督の中で違うと思ったら何かおっしゃるんですけど、基本的には伸び伸びと、僕が作ってきたことをやらせてくださいました。演技指導というよりも、セッティングの間に「ここはこういう意図で書いているから」とお話してくださるという形でした。それを自分の中で消化して、ヒントにしてお芝居ができたという感じです。


-晋平の曲の魅力についてはどう思いましたか。


 僕は音楽的なことはよく分からないんですけど、フィーリングとしては、晋平さんの曲は1曲まるまるちゃんと聴いて作品になる曲だと感じました。最近の曲だと、出だしの何秒かが勝負だったりしますけど、晋平さんの曲は全部聞いてこそ、“中山晋平の曲だ”というのを感じました。


-映画を経験してみて感じたことは。


 これからは意欲的に映像の方もやっていきたいと思うようになりました。お芝居の方は慣れているので、歌舞伎以外の舞台もどんどんやっていきたいと思っていましたが、映像の方は果たして僕で大丈夫なのかという気持ちがすごくありました。でも、この約2か月間の撮影を通して、本当に真っ白な状態で入っていって、いろんな人からいろんなことを学んで、納得して自分の引き出しにしていけるのが楽しかったので、これからも意欲的に映画やドラマにも挑戦したいと思いました。歌舞伎には瞬発力が必要です。映画も「用意スタート」からの瞬発力がすごく大事なんだというのを感じて、気持ちがポンって入る感覚というのは、歌舞伎でも歌舞伎以外でも、引き出しの一つとして生かせると思いました。


-今回の映画出演についてご両親は何か言っていましたか。


 両親は、歌舞伎の時もそうですけど、あまり細かいことは言いません。母(三田寛子)は「映像は5倍も10倍も太って見えるから痩せなさい」と。父からは「自分も映像で育ててもらったから、意欲的にやっていくことはとてもいいことだと思う」と言われました。


-最後に、観客や読者に向けて映画のアピールをお願いします。


 中山晋平さんをご存じの方は、名曲の誕生秘話を楽しみながら、晋平さんの人生をご自分と重ね合わせてご覧になっていただけると思います。ただの伝記物ではなくて、エンターテインメントとして見られますし、すごくテンポがいい割にはしっかりと句読点が付いた作品になっていますので、楽しんでいただけると思います。僕と同世代で「東京音頭」や「シャボン玉」だけを知っている人や、晋平さんを知らない人たちにとっては、晋平さんのことを改めて深く知ることができる楽しさがあると思います。


(取材・文・写真/田中雄二)