学校以外の「居場所」は増えているが

子どもが不登校になった親の心配ごとはいろいろあると思います。

・社会性が身につかなかったらどうしよう
・勉強の遅れはどうしたらいいのか
・仕事はやめないといけないのか
・自分の育て方に問題があったのではないか

などなど、親の悩みは尽きません。

どれも、子どもが学校に行けていれば特に気にしなくてもいいようなことばかりです。

ですから、親がなぜ子どもが学校に行けなくなったかを考えたとき、学校に代わる子どもの「居場所」があれば、と考えるのは自然な流れでしょう。子どもにしても「学校には行きたくないけど友達とは遊びたい」気持ちが少なからずありますよね。

不登校児数の増加に比例して、居場所・塾・フリースクール・オルタナティブスクール・不登校特定校と学校以外にも学べる場は増えています。

学びとは一概に学力のことだけを指すのではありません。人間関係を学ぶこと、目標に向かって努力すること、集団生活のなかで学べることはいくつもあります。

その学びを学校では得たくても得られない不登校の子どもは、「自分はここにいていいのだ」という安心感を見出せないのでしょう。その安心感を取り戻せる場所を自宅以外に見つけられると、不登校の子どもはのびのびとし始めます。

不登校の子どもが行ける「居場所」にはまったく勉強の要素が入っていないところもあれば、エンターテインメント的に勉強をおもしろく教えてくれるようなところもあります。

そういった居場所を選ぶときの注意点としては、子どもが自発的に「行きたい!」と思えるところがみつかるまで、親が先走りしないことです。

不登校親子によっては、曜日ごとに居場所を転々として「居場所への行き疲れ」になるケースもあります。

また「不登校支援に特化した塾は玉石混淆」と、おおたさんは書かれています。不登校は親にとって、子どもを育てるなかで何がいちばん大切なことなのか、あらためて考え直す機会を与えられているともいえそうです。

教えないでも子どもは育つ

平日学校に行っている時間帯に学校の代わりに行ける「居場所」として、1つ特殊な例をご紹介します。

主に東京都下の河原など自然のなかで開催される「森の教室 いもいも」では、一見子どもたちが思い思いの興味と好奇心に従って遊んでいるだけの光景が広がっています。

そこには誰からも強制されず、指示もされず、川で泳ぐ子ども、焚火をする子ども、一日川の流れを見て過ごす子どもがいます。

ちなみに、先に紹介した「学校はやっていいと言われたこと以外やっちゃいけないからイヤだ」という発言の主は、森の教室に来ている男の子でした。

教室という名前はついていますが、まったく「教える」ということをしない教室です。時に子ども同士でトラブルが生じることもありますが、そんなときにも大人の出番はほとんどないそうです。

「森の教室 いもいも」に関わる大人は、子どもの行動をジャッジせず、見守ることのできる大人です。もちろん、事前に本当に危険と判断する場所は選ばないなど、見えないところで子どもたちの自発的な活動を支えています。