尾高平九郎役の岡田健史(左)と渋沢栄一役の吉沢亮

 4月11日に放送された大河ドラマ「青天を衝け」第九回「栄一と桜田門外の変」では、タイトル通り、幕末の世を揺るがした大事件「桜田門外の変」が描かれた。

 これまで、主人公・渋沢栄一(吉沢亮)や、後にその主君となる徳川慶喜(草なぎ剛)を中心に、さまざまなエピソードをバランスよく盛り込みながら物語を進めてきた本作だが、この回はそのバランス感覚が特に際立っていた。

 “安政の大獄”で処分された徳川斉昭(竹中直人)や、慶喜ら関係者の思いを幅広く交え、突然起きた桜田門外の変の衝撃を描写。さらには、一見無関係と思われる遠く離れた血洗島の栄一の心を動かす様子までを過不足なく描き、45分があっという間だった。

 中でも、そのバランス感覚が存分に発揮されたのが、事件の主役となる大老・井伊直弼(岸谷五朗)の描き方だ。

 一般的には、攘夷派を弾圧した安政の大獄の首謀者として、悪役のイメージが強い直弼だが、本作では、自身も予想しなかった重職・大老就任に悩む姿や、将軍・徳川家茂(磯村勇斗)との信頼関係、“茶歌ポン”のあだ名を交えて文化・芸術にも精通した一面まで、人物像を多面的に掘り下げたことで、人間的な厚みが増した。全体的に抑制の効いた岸谷の芝居も、そんな脚本の魅力をより引き出していたように思う。

 さらに、事件の場面に直弼作の狂言「鬼ヶ宿」をダブらせた演出も鮮やか。心変わりした女が、訪ねてきた昔なじみの男を、鬼の面をかぶって追い返そうとするが…という筋の「鬼ヶ宿」からは、直弼のさまざまな心情がにじみ出ていた。

 こうした作り手の思いが積み重なった結果、単なる歴史上の事件の再現にとどまらず、日本の将来を案じる直弼の思いまで伝わる人間ドラマとして味わいのある仕上がりとなった。

 見事なバランス感覚で“桜田門外の変”を描き切った第九回だが、それが井伊直弼や事件そのものを魅力的に見せることだけが目的だったのかといえば、そうではないだろう。

 主人公の栄一はやがて、尊王攘夷の志士となった後、一転して慶喜に仕え、幕臣として働くことになる。そして明治維新後は、実業家として政財界で活躍…と、その生涯は一つの視点だけでは語り尽くせない激変の連続。その歩みを描くためには、人物像や世の中の見方を多面的にしておかなければ、説得力が出ない…。そう考えて、あらかじめ布石を打っているように思えるからだ。

 次回は、いよいよ栄一が故郷・血洗島を出て、江戸へ向かう。いとこの渋沢喜作(高良健吾)や尾高惇忠(田辺誠一)たちと桜田門外の変について話す姿には、まるで桃太郎の鬼退治でも語るかのようなのんびりムードが漂っていたが、そんな栄一も新たな世界と出会うことで、これからどんどん変わっていくはずだ。

 回数もいよいよ二けたに突入し、物語も新たな局面を迎えつつある。第九回は、そんな転換点にふさわしいエピソードだったのではないだろうか。(井上健一)