10月3日に放送されたNHKの大河ドラマ「青天を衝け」第二十九回「栄一、改正する」は、明治新政府で働くことになった主人公・渋沢栄一(吉沢亮)の活躍が描かれた。「旧幕臣が!」と陰口をたたかれながらも、民部省内に立ち上げた「改正掛」で郵便制度を創設するなど、仲間と協力して成果を上げるその姿は痛快だった。
その活躍をより引き立てていたのが、冒頭に登場した徳川家康(北大路欣也)の語りだ。この回、冒頭に登場した家康はこう語っている。
「いまだ制度も整わず、外国には文句の言われ放題。金もない。新政府どころか、日本そのものが危機でした。そこへ助け舟を出したのが、皮肉にも、わが徳川の家臣(=栄一のこと)です」。
これは、この回の栄一の活躍を示唆すると同時に、日本が危機的状況にあったという一歩引いた視点からの事実を示している。仮にこの言葉がなくても、栄一の奮闘を描くことはできるだろう。だが、家康の一言が加わることで、栄一の奮闘がより広い意味を持っていたことが伝わり、その重みが増してくる。
ここで、すっかりおなじみとなった家康の語りを振り返ってみたい。初回から毎回のように登場し、栄一を見守ってきた家康の語りは、明治維新までは栄一だけでなく、自らが開いた江戸幕府や後継者の徳川慶喜(草なぎ剛)を応援する姿勢が感じられた。
例えば、第十四回「栄一と運命の主君」では、慶喜の立場を次のように説明した。「朝議参与でありながら、幕府の将軍後見職でもある複雑な立場の慶喜は、その板挟みになったのです。そう、慶喜はピンチだったのです」。
また、栄一がパリに旅立った第二十一回「篤太夫、遠き道へ」のラストでは「篤太夫が、その一家が、そしてわが徳川の世はどうなるのか。この先も、しかと見届けていただきたい」といった調子だ。
ところが維新後は、そのニュアンスが微妙に変わり、明治新政府をチクリと刺すような言葉が所々で飛び出している。その一部を拾い出してみる。
「薩長新政府は政権を奪いはしたものの、金もなく、内政も外交も、課題が山積みで、ぐらぐらだ」(第二十五回)。「私の作った世界有数の大都市・江戸は、東京に変わるや否や、すっかりさびれてしまいました」(第二十七回)。「明治二年も末になったというのに、まだ新政府は名ばかりだ」(第二十九回)。
これらは一見、徳川の世を終わらせた新政府に対する嫌味や皮肉に聞こえる。だがそれだけでなく、維新前は同じ幕府側だった栄一が新政府寄りの立場になったことで、2人の視点にずれが生じ、それが世界観をより広く見せることにつながっているように思える。
例えば、前述した第二十九回の「いまだ制度も整わず、外国には文句の言われ放題。金もない」という言葉。これも、新政府に批判的で一歩引いた視点の家康ならではだ。
だが、今やそれに立ち向かわなければならない栄一にとっては、乗り越えるべき目の前の壁のような意味を持つ。その2人の距離の開きが、「こういう見方もあるのか」という視聴者の気付きにつながり、ドラマをより豊かにしているように感じられるのだ。
とはいえこれは、あくまでも個人的な印象に過ぎない。だが、栄一の活躍とそれを見守る家康の視点に注目すると、また新たな物語の魅力が見えてくるのではないだろうか。(井上健一)